「中野 (中野区)」の版間の差分
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2014年1月1日の公示地価によれば、住宅地の地価は中野3-23-46の地点
=== 商業地 ===
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=== 近代 ===
明治時代に甲武鉄道が開通すると、当時は駅前だった桃園通りから市街化が進んだ。次いで囲町集落の住民や[[梅照院|新井薬師]]や[[妙法寺 (杉並区)|堀ノ内妙法寺]]への参拝客の利用が増加し、参道商店街が作られるなど急速に都市化したが、明治後期でも駅周辺には麦畑が残っていた<ref name=nakano_movie>[https://www.youtube.com/watch?v=haGJ5u778o0 いつか見た中野駅(約22分)]、中野区公式ユーチューブチャンネル、2014年12月14日閲覧</ref>。<br>1896年には陸軍電信隊・鉄道隊・気球隊の施設が、次いで[[陸軍憲兵学校]]が現在の区役所付近に作られた。日露戦争後に[[御茶ノ水駅|御茶ノ水]]-中野間の運転間隔が10分になるなど甲武鉄道の輸送改善が進むと都市化が本格化し、陸軍施設の関係者が住む街である一方で高所得者の別荘がある
大正に入ると駅の乗降客数も増加し、中野は都心部へ通勤する人々のベッドタウンとして成長を遂げ、現在のサンモール周辺にも商店ができ始めた。[[関東大震災]]後には、甚大な被害を受けた下町から膨大な人口が流入したことで宅地開発に拍車がかかり、早稲田通りから現在の中野ブロードウェイの一部にかけて模範市場が作られるなど、商業の集積が顕著になった。
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=== 現代 ===
1966年には[[営団地下鉄]][[東西線]]が開業、中野駅は名実ともにターミナル駅となった。同年には[[中野ブロードウェイ]]が開業、東洋一のショッピングセンターとして
また、1970年には日本初の会員制総合スポーツクラブとして[[TAC|東京アスレチッククラブ]]がこの地に開業、1973年には最高級のコンサートホールや結婚式場、ホテルを擁する[[中野サンプラザ]]が竣工、さらには、1975年に中野北口美観商店街が[[中野サンモール]]になるなど、現在の街並みやランドマークがほぼ完成した。現在では、2012年に「中野四季の都市」が街開きするなど中野駅周辺で大規模な再開発が行われ、街並みが大きく変貌しつつある。
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[[ファイル:中野駅南口(マルイ前).JPG|サムネイル|150px|右|マルイ中野本店]]
[[ファイル:Nakano Twin-mark Tower.JPG|サムネイル|右|150px|中野ツインマークタワー]]
* [[マルイ|中野マルイ]](旧・丸井中野本店)
* [[中野ツインマークタワー]]
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