「服部翔大」の版間の差分

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主将としてチームを引っ張り、予選会を通過して出場権を手にした[[第89回東京箱根間往復大学駅伝競走]]では山登り5区を担当。小田原中継所で1分49秒差あった先頭[[東洋大学]]の[[定方俊樹]]との間を、最大風速18m/sの強風の中で詰めて行き抜き去ると、最終的に2位に2分35秒差をつけるトップで芦ノ湖に到達し区間賞を獲得。日体大史上初の[[金栗四三杯]]を受賞した。服部と同学年の[[矢野圭吾]](現[[日清食品グループ]]所属)や[[本田匠]](現[[旭化成陸上部|旭化成]]所属)らの活躍もあり、日体大は30年ぶり10回目の総合優勝を果たした。
 
4年次には2013年[[ユニバーシアード]]日本代表に選出され、[[10000メートル競走|10000m]]6位、[[ハーフマラソン]]5位という成績lを収める。最後の箱根駅伝となる[[第90回東京箱根間往復大学駅伝競走]]では前年に引き続き5区を担当。同じ埼玉県出身で高校時代からのライバルである東洋大学の[[設楽啓太]]に惜しくも1秒差で破れ、2年連続の区間賞とはならなかった。(区間2位)
 
2014年、設楽啓太の双子の弟である[[設楽悠太]](同じく東洋大学出身)とともに地元埼玉の[[本田技研工業|Honda]]に入社した。
 
彼女は[[日本郵政グループ女子陸上部]]に所属する柴田千歳である。