「精神医学」の版間の差分
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精神医学においても「[[根拠に基づく医療]]」が求められている{{Sfn|OECD|2014|loc=Executive Summary}}。これはある介入と、そのアウトカム(結果)の因果関係を求め、介入の有効性を評価するというものである。他の医学領域では、評価するアウトカムとして、数値で表すことのできる生体データを用いることが多い。しかし、精神科領域ではこのような客観的なデータが得られにくいため、重症度を評価する評価尺度の点数や、自殺の有無、入院期間などをアウトカムとして用いている。イギリス保健省はHealth of the Nation Outcome Scales(HoNOS)を策定し、国家レベルにてアウトカム評価に用いている{{Sfn|OECD|2014|loc=Country press releases - UK}}。これらのデータに基づき、[[米国精神医学会]](APA)、[[英国国立医療技術評価機構]](NICE)などのガイドラインが作成されている。
[[OECD]]は[[根拠に基づ
=== 評価尺度 ===
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これに対して、ヨーロッパ各地に精神病者へのこうした非人間的処遇に反対して立ち上がる人が登場した。たとえばイギリスの[[ヨーク市]]に理想的な施設{{仮リンク|ヨーク救護所|en|The Retreat}}を立ち上げたクエーカー教徒の商人チューク<ref name="kango" />、「狂者を直接に治すことができるのは精神治療しかない」として収容所の改革を説いた前述のライル、バイロイト近郊の施設を模範的な精神病院に建てかえ、病者と生活を共にした同じくドイツの医師ランガーマンJ.G.Langermannらがその例である。その中でも特にフランスの[[フィリップ・ピネル]]が、1793年に、[[パリ]]近郊の[[ビセートル病院]]で患者を鉄鎖から解放した事績は有名である<ref name="kango" />。ピネルは精神病院の改革者として行動すると同時に、 1801 年には『精神疾患に関する医学‐哲学的論考』を著して「近代精神医学の父」とみなされている。
精神医学が今日的な意味の学問体系を指すようになるのは、 1850 年ごろからヨーロッパ各地の大学医学部が必要な講座としてこれを設置しはじめてからである。当時の精神医学は、「精神病は脳病である」([[W.グリージンガー]])という言葉が象徴するように,疾患の本態を脳内に求める身体論的方向をめざすものだった。精神疾患は、こうして神経学者たちの専門となった。またその一方で,遺伝・素因・体質などの要因を重視する内因論の方向が、19世紀末に[[エミール・クレペリン]]、[[クルト・シュナイダー]]らにより、症状に基づ
=== 20世紀 ===
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[[アメリカ精神医学会|米国精神医学会]](APA)による診断基準「DSM」の第1版、第2版では、記述的分類と病因に基づいた分類が混在していた。当時は、科学の発展に伴っていずれは各々の精神疾患に対する脳の障害部位が特定されていくものと期待されていたからである。
DSM第3版(DSM-III)では編集方針が変わり、症状に基づいた分類が採用され、病因に基づいた分類は極端に排斥された。現在臨床で用いられているDSM第4版([[DSM-IV]])や国際疾病分類第10版([[ICD-10]])もその流れに続いている。このことによって、ようやく他の医学領域と同様に、 [[根拠に基づ
=== 21世紀 ===
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* {{脳科学辞典|生物学的精神医学}}
* {{脳科学辞典|症状評価尺度}}
{{DEFAULTSORT:せいしんいかく}}
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