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日本側の護衛強化にもかかわらず、船団の被害は止まらなかった。アメリカ海軍の南西太平洋方面潜水艦部隊はルソン島の[[スービック湾]]に作戦拠点を前進させ、南シナ海とボルネオ島周辺に20隻もの潜水艦を配置して日本船団を襲った<ref>モリソン(2003年)、390-391頁。</ref>。[[戦史叢書]]によれば南号作戦期間中に航行した重要資源船団は15隊、加入輸送船はのべ45隻、護衛艦艇はのべ50隻で、そのうち輸送船20隻と護衛艦4隻が失われた<ref>防衛庁防衛研修所戦史室 『海上護衛戦』、470頁。</ref>。
 
3月下旬、大本営は、[[沖縄戦|沖縄への連合軍上陸]]が間近に迫っていると予想し、もはやヒ船団の維持は不可能と判断した。3月16日に南号作戦は一時中止が発令され(そのまま打ち切り)、シンガポール行きで[[黄海]]を航行中のヒ99船団、ヒ01船団(2代目)以降の南下予定船団は中止となった<ref name="1EF2003">第一護衛艦隊司令部 『自昭和二十年三月一日 至昭和二十年三月三十一日 第一護衛艦隊戦時日誌』JACAR Ref.C08030142200、画像17、28、32、36枚目。</ref>{{#tag:ref|ヒ99船団の編制はタンカー「第五山水丸」及び護衛の駆逐艦「[[朝顔 (駆逐艦)|朝顔]]」(護衛協力)<ref>第十一水雷戦隊司令部 『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030127900、画像39枚目。</ref>「[[欅 (松型駆逐艦)|欅]]」「[[楢 (松型駆逐艦)|楢]]」ならびに海防艦「[[鵜来型海防艦|宇久]]」「[[鵜来型海防艦|新南]]」からなる<ref name="1EF2003" />。2代目のヒ01船団はタンカー「玉栄丸」「さばん丸」(異説あり<ref name="Iwasige97">岩重(2011年)、97頁。</ref>)および護衛の海防艦「[[鵜来型海防艦|竹生]]」ならびに[[丁型海防艦|第40号]]・[[型海防艦|第101102号]]・[[丁型海防艦|第102106号海防艦]]が六連泊地で準備中<ref name="1EF2003" />。2代目ヒ03船団は、3月12日時点で護衛として第12海防隊主力([[丁型海防艦|第14号・第46号海防艦]])、[[丁型海防艦|第72号海防艦]]、[[スチュワート (DD-224)|第102号哨戒艇]]及び海防艦「[[鵜来型海防艦|久賀]]」(途中まで)が予定されていた<ref>第十二海防隊司令部 『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十二海防隊戦時日誌』 JACAR Ref.C08030594800、画像29、36枚目。</ref>。なお、岩重(2011年)は、この時期のヒ船団参加予定タンカーとして、上記のヒ99船団・ヒ01船団予定船のほか「[[さんぢゑご丸]]」「[[せりあ丸]]」「[[橋立丸]]」を挙げ、待機中のタンカーを総数7隻程度とする<ref name="Iwasige97" />。|group="注釈"}}。南方に残存する可動船舶を集めて、最後に出航するヒ船団となった[[ヒ88J船団]]が編成され、3月19日にシンガポールを発ったが、同月29日までに全ての輸送船を撃沈された<ref group="注釈">[[ホーチミン市|サイゴン]]行きで途中分離の3隻を除く。</ref>。ヒ船団の運航停止により、日本の南方占領地からの資源輸送は実質的に終焉を迎えた。
 
== 注釈 ==