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'''ヴィリ'''({{lang-ru|Вырь}}は現[[ウクライナ]]・[[スームィ州]]内の[[ヴィル川[[:ru:Вир (приток Сеймаスームィ州)|(ru)ヴィル川]]沿いにかつて存在していた、[[キエフ・ルーシ]]期の都市である。
 
ヴィリは『イパーチー年代記[[:ru:Ипатьевская летопись|(ru)]]』あるいは『モノマフ公の庭訓[[:ru:Поучение Владимира Мономаха|(ru)]]』において、[[キエフ大公]][[イジャスラフ2世|イジャスラフ]]と、ダヴィド家[[:ru:Рюриковичи#Черниговские и новгород-северские князья|(ru)]]・オレグ家[[:ru:Ольговичи|(ru)]]との紛争に関する記述の中に言及されている。すなわち、オレグ家の軍勢による包囲に対し、ヴィリの住人はキエフ大公への忠義を貫き防戦したため、オレグ家勢はヴィヤハニ[[:ru:Вьяхань|(ru)]]への撤退を余儀なくされたという記述である。