「平和のための原子力」の版間の差分

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[[ファイル:Atoms for Peace stamp.jpg|thumb|right|「平和のための原子力」を掲げたアメリカ合衆国の[[郵便切手]](1955年発行)。]]
'''平和のための原子力'''(へいわのためのげんしりょく、{{Lang-en|Atoms for Peace}})は、[[アメリカ合衆国]]の[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]大統領が、[[1953年]]12月8日に[[ニューヨーク]]の[[国際連合総会]]で行った演説で提唱した、[[原子力|核]]に対する考え方である。'''核の平和利用'''(かくのへいわりよう)ともいう。
 
== 概要 ==
[[第二次世界大戦]]末期の1945年、アメリカが[[広島市|広島]]、[[長崎市|長崎]]に[[原子爆弾]]を投下して約10万6000人の死者と約11万人の負傷者を出した。その後も1948年、アメリカが太平洋で[[核実験]]を行い、1949年、[[ソ連]]が核開発能力を備えるに至った。それを受けて、アメリカはより強力な[[水素爆弾]]の開発を進め、1952年11月に爆発実験を成功させた。1953年1月に大統領に就任したアイゼンハワーは、こうした東西[[冷戦]]の中での核開発競争が急速に進むことで[[核戦争]]の危険性が現実化しつつあるとの危機感を抱き、国連総会において、こうした危険性を訴えようとした<ref>{{Cite web |url= http://web.archive.org/web/20070509221500/http://www.eisenhower.archives.gov/atom1.htm |title= Introduction by Jack M. Holl and Roger M. Anders |publisher=Eisenhower Archives |accessdate=2011-03-22 }}</ref>。
 
アイゼンハワーは演説の中で、まず核開発競争が激化している現状を憂慮した上、アメリカに対し核攻撃がなされた場合には速やかに報復が行われることになるが、そのような事態になることを望むものではないとして、次のように述べた。
{{quote|我が国は、破壊ではなく、建設をしたいと願っている。国々の間の戦争ではなく、合意を願っている。自国が自由の下に、そして他の全ての国の人々が等しく生き方を選択する権利を享受しているという自信の下に生きることを願っている。}}
そして、アメリカ及びその同盟国である[[イギリス]]、[[フランス]]は、ソ連との間で、会談を持つ用意があると述べた。また、原子力の平和利用について、次のように述べた。
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この兵器を兵士の手から取り上げるだけでは十分でない。軍事の覆いをはぎとり、平和の技術に適合させるための方法を知る人々の手に渡されなければならない。}}
続いて、国連の下に国際的な原子力機関を設立することを提案し、特に電力の乏しい地域に電力を供給することが原子力機関の目的の一つになるとした。それに関わるべき利害関係国にはソ連も含まれると明示した上で、アメリカには協力の用意があると述べた。
 
[[ファイル:Eisenhower and Strauss.jpg|thumb|right|260px|原子力委員会のルイス・ストラウス委員長から報告を受けるアイゼンハワー(1954年3月)。]]
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[[Category:演説]]
[[Category:エネルギー政策]]
[[Category:ドワイト・D・アイゼンハワー]]