「絨毯爆撃」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[1937年]][[4月26日]]、[[スペイン内戦]]下で[[スペイン]]北部・[[バスク州]]の[[都市|小都市]][[ゲルニカ]]が[[フランシスコ・フランコ|フランコ]][[将軍]]を支援する[[ナチス・ドイツ|ナチス]]の[[コンドル軍団]]によって空爆された。この[[ゲルニカ空襲]]が焼夷弾を本格的に使用した最初の空襲となり、世界初の無差別爆撃でもあった。[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]の『[[ゲルニカ (絵画)|ゲルニカ]]』は[[ゲルニカ|同名の都市]]への無差別絨毯爆撃に際し描かれたものとして著名である。[[1938年]]から[[1943年]]まで日本によって継続的に行われた[[重慶爆撃]]も後期には絨毯爆撃となった。1944年の北フランスで行われた[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の「コブラ作戦」支援の爆撃でも絨毯爆撃が使用されている
 
[[第二次世界大戦]]では、1944年の北フランスで行われた[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍の「コブラ作戦」支援の爆撃でも絨毯爆撃が使用されている。
末期の1945年には、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]は[[ドレスデン爆撃]]で無差別爆撃を行い、[[日本本土空襲]]では[[精密爆撃]]から無差別爆撃まで[[焼夷弾]]の使用も含む爆撃を継続的に実施した<ref>荒井信一『空爆の歴史』岩波新書129頁</ref>。
 
2001年から実施された[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アメリカのアフガニスタン侵攻]]における[[B-52 (航空機)|B-52]]による地上軍支援などで無差別爆撃行われている。作戦地域が小さければ[[B-52 (航空機)|B-52]]に代表される[[戦略爆撃機]]単独でも被害を与えられるようになっている。
 
初期には複数の航空機を使用した反復爆撃によってその真価を発揮した。現在では、作戦地域が小さければ[[B-52 (航空機)|B-52]]に代表される[[戦略爆撃機]]単独でも同様な被害を与えうる。また、[[MLRS]](多連装ロケットシステム)など一部の野戦火力も効果面で絨毯爆撃と似通う。
 
被害が無差別かつ広範にわたる絨毯爆撃には批判も多く、[[巡航ミサイル]]や[[誘導爆弾]]の発達した今日では[[精密爆撃]]に取って代わられつつある。
 
== 派生表現 ==