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{{Otheruses|1985年に起きた殺人事件|1962~63年に起きた爆弾・脅迫事件|草加次郎事件}}
 
'''草加事件'''(そうかじけん)とは、[[1985年]][[7月19日]]に[[埼玉県]][[草加市]]の残土置き場で同県[[八潮市]]在住の中学3年女子生徒の絞殺体が発見され、その容疑者として草加市在住の13~15歳の少年5人が逮捕、1人が補導された事件の通称である。
 
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逮捕された5人は[[少年審判]]で犯行を否認したが、浦和家庭裁判所は同年9月、5人を初等・中等[[少年院]]へ送致し、1人を[[児童相談所]]に送るという保護処分を出した。少年らは抗告したが[[東京高等裁判所]]は抗告を棄却、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]も[[1989年]]7月に再抗告を棄却し、同処分が確定した。
 
被害者が死亡時に着用していたスカート後ろ側の裏部分6か所に付着していた(犯人のものと推定される)精液の[[血液型]]がAB型である一方、少年らの血液型はいずれもO型またはB型であり一致しない。検察側は「被害者の血液(A型)と加害少年の血液(B型)が合わさってAB型の血液になった」と展開をしたことが「科学的根拠が全く無いオカルト的主張を展開した」とされたが、これは正確な認識とはいえない。検察側の主張は正確には「A型物質とB型物質の反応の強さが違う事から、A型の細胞片とB型の唾液が混ざり、判定においてAB型と同様の結果が出た可能性がある」というものである。血液とその他の体液では可能な血液型判定法が違っており、この事件においては凝集素吸収試験と凝集素解離試験が行われたが、この場合A型とB型の試料が混合しAB型と判定されることは理論的にはありうる。後述の損害賠償請求訴訟における最高裁判決においても、A型とB型の試料が混合しAB型と判定される可能性は全くあり得ないことではないが「捜査官は体表面から試料を採取する際に体垢との混合を避けるように指導されており、試料も複数の箇所から採取している。そのいずれもが判定結果に影響するほどの体垢を含んでいたという事は想定できず、本件においては血液型はAB型であったと認めるほかはない」という判断がなされ、検察側の主張していた内容は採用されていない
後述の損害賠償請求訴訟における最高裁判決においても、A型とB型の試料が混合しAB型と判定される可能性は全くあり得ないことではないが「捜査官は体表面から試料を採取する際に体垢との混合を避けるように指導されており、試料も複数の箇所から採取している。そのいずれもが判定結果に影響するほどの体垢を含んでいたという事は想定できず、本件においては血液型はAB型であったと認めるほかはない」という判断がなされ、検察側の主張していた内容は採用されていない。
 
その後、被害者の両親が上述の少年らの親権者を相手取り損害賠償を求めた民事訴訟では、1993年3月に浦和地裁で事実上の無罪判決(原告の請求棄却)、1994年11月に東京高裁で少年らの自白は信用できるとして事実上の有罪判決(原告の請求を一部認容)が下された。そして、2000年2月に最高裁は自白の信用性を認めた高裁の判断には誤りがあるとして、被告の敗訴部分を破棄し、東京高裁に差し戻した。差戻し審では、2002年10月、自白に秘密の暴露がないこと、本件においては血液型はAB型であったと認めるほかはないなどの理由から「少年らの犯罪を裏付けるに足りる証拠が無い」として、事実上の無罪判決(原告の請求棄却)が下された。このように当該事件では、民事裁判によって刑事裁判とは異なる事実上の無罪判断が出るという異例の展開になった。
 
他方、少年らは一般の[[刑事裁判]]での[[再審]]請求に当たる「保護処分の取消し」を3度申し立てたが、既に保護処分は終了した(訴えの利益がない)ことなどを理由にいずれも退けられている。なお、現在では、保護処分終了後にも保護処分の取消を行いうると少年法が改正されており(少年法27条の2第2項)、保護処分終了後でも保護処分取消の請求が可能である。
なお、現在では、保護処分終了後にも保護処分の取消を行いうると少年法が改正されており(少年法27条の2第2項)、保護処分終了後でも保護処分取消の請求が可能である。
 
被害者の親は、『埼玉県警は何をしていたのか、直ちに再捜査し真犯人を一刻も早く捕まえて欲しい』と訴えたが、この事件は不可解な結論のまま、[[2000年]][[7月19日]]に[[公訴時効]]を迎えている。<!--少年たちが保護処分の取り消しを請求する理由は、公式には真犯人は逮捕された少年たちとなっている事-->