「モーリス・ラヴェル」の版間の差分

病床にあって彼はオペラ『ジャンヌ・ダルク』などいくつかの曲の着想を得、それを書き留めようとしたがついに一文字も書き進める事が出来なくなったと伝えられる。ある時は友人に泣きながら「私の頭の中にはたくさんの音楽が豊かに流れている。それをもっとみんなに聴かせたいのに、もう一文字も曲が書けなくなってしまった」と呟き、また別の友人には『ジャンヌ・ダルク』の構想を語った後、「だがこのオペラを完成させることはできないだろう。僕の頭の中ではもう完成しているし音も聴こえているが、今の僕はそれを書くことができないからね」とも述べたたという。
 
同時期、ラヴェルは失語症などの権威であった神経学者[[:en:Théophile_Alajouanine|テオフィル・アラジョアニヌ]]の診察を受けるが、博士は失語症や理解障害、[[失行#.E8.A6.B3.E5.BF.B5.E9.81.8B.E5.8B.95.E5.A4.B1.E8.A1.8C|観念運動失行]]<ref>アラジョアニヌは1968年の自著『芸術的能力と失語症』で「自分の内面にある音楽を表出させることができなくなった」ラヴェル診察の所見をまとめており、岩田誠の本にも引用されている。</ref>など脳神経学的な症状であると判断した。しかし脳内出血などを疑っていたラヴェルの弟のエドゥアールや友人たちはその診断に納得せず、[[1937年]][[12月17日]]に血腫や脳腫瘍などの治療の専門家として名高かった脳外科医[[:en:Clovis Vincent|クロヴィス・ヴァンサン]]の執刀のもとで手術を受けた。しかし腫瘍も出血も発見されず、脳の一部に若干の委縮が見られただけだった。元々万が一の可能性にけて手術と言う決断をしたヴァンサンは、ラヴェルが水頭症を発症していないことを確かめると萎縮した脳を膨らまそうとして生理食塩水を注入手術後は一時的に容体が改善したが、まもなく昏睡状態に陥り、意識が戻らぬまま[[12月28日]]に息を引き取った。62歳であった。会葬には[[ダリウス・ミヨー]]、[[フランシス・プーランク]]、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]らが立会い、遺体は[[ルヴァロワ=ペレ]](パリ西北郊)に埋葬された。
 
晩年を過ごした[[イヴリーヌ県]][[モンフォール=ラモーリー]]にあるラヴェルの最後の家は、現在[[ラヴェル博物館]]([http://www.ville-montfort-l-amaury.fr/6_ravel/musee.htm Musée Maurice Ravel])となっている。浮世絵を含む絵画や玩具のコレクション、作曲に用いられたピアノなどが展示されている。
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