「YF-12 (航空機)」の版間の差分

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== 開発 ==
アメリカ空軍([[USAF]])のYF-12プログラムは、[[CIA]]向けに設計され、[[1962年]]に初飛行した[[A-12 (偵察機)|A-12 OXCART偵察機]]の発展であった。運用中の[[F-106 (戦闘機)|F-106 デルタダート]]の代替とすることを目的としていた[[マッハ]]3級の迎撃戦闘機[[XF-108 (戦闘機)|XF-108 レイピア]]の開発中止をアメリカ空軍が余儀なくされたあと、ロッキードは空軍にYF-12プロジェクトに関心を持たせることができた。A-12を開発していたことで多くのYF-12の設計・研究開発の作業と投資がすでに済んでおり、A-12を基礎とする航空機によって低コストでXF-108の代替機を作れると指摘された。[[1960年]]に、アメリカ空軍はA-12生産ラインの第11から第13スロットを取得し、それらをYF-12A迎撃戦闘機の構成で完成させることに同意した。主な変更は、当初XF-108のために開発されていたヒューズAN/ASG-18火器管制レーダーを搭載すること、その操作をする搭乗員のための第2コックピットを追加すること、そしてこれまでA-12にて偵察装置を収納するために用いられていたベイを[[ミサイル]]の搭載用とすることであった。なお、火器管制レーダーの搭載に合わせ[[機首]]部分のチャインと呼ばれる張り出し部を除去する修正が必要となった。その結果、空力特性が影響を受けて安定性が不足する事態となった。胴体と[[{{仮リンク|エンジン・ナセル]]|en|Nacelle}}の下に追加された[[垂直尾翼#ベントラルフィン|ベントラルフィン]]は、この安定性不足を補うためのものである。
 
[[Image:YF-12A.jpg|thumb|250px|飛行試験中のYF-12A]]
試験結果は非常に印象的だった。YF-12Aは速度と高度のいくつかの新記録を樹立し、ユニークな武器システムによって有望な結果を示した。[[AIM-47 (ミサイル)|AIM-47]]ミサイルの発射は6回の成功を果たし、最後のAIM-47が高度74,400 ft(22,677 m)、マッハ3.2で飛行中のYF-12から地上500 ft(152 m)の標的[[無人航空機|ドローン]]QB-47に対して発射された。[[1965年]]にアメリカ空軍は93機のF-12Bを注文したが、これは[[アメリカ合衆国国防長官|国防長官]][[ロバート・マクナマラ]]によって予算をカットされたためにキャンセルされた。キャンセルの理由の1つは、この速度の迎撃戦闘機への投資を正当化するのに十分な高速爆撃機を[[ソビエト連邦]]が所有していなかったという確信であった。開発計画はそこで断念されたが、YF-12はアメリカ空軍と[[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の研究機として長年飛び続けた。
 
YF-12Aは3機製造されたが、このうちのS/N60-6934は、[[1966年]][[8月14日]]に[[エドワーズ空軍基地]]での着陸時の事故による火災で修理可能なレベルを超える損傷を被った。その機体の後半部は回収され、ロッキードの静態テスト機体の前半部と結合されて唯一の'''SR-71C'''が製造された。SR-71Cは必ずしもまっすぐに飛ぶというわけではなく、巡航状態でも若干の舵圧を保つことをパイロットに要求したため、パイロット達に「バスタード(粗悪品)」というあだ名で呼ばれた。その航空機は、現在[[ユタ州]]の[[ヒル空軍基地]]にある[[空軍兵器博物館]]に展示されている。ナセルの下のベントラルフィンが依然としてあるため、全SR-71の中でも独特な機体である。ナセルの下のベントラルフィンは、他のどのSR-71にも存在しない、YF-12の血統を示す工芸品のようでもある。YF-12A S/N60-6936は、燃料導管の欠陥に起因する飛行中の火災のため、[[1971年]][[6月24日]]に失われた。2人のパイロットは、[[エドワーズ空軍基地]]のちょうど北に問題なく脱出した。YF-12A S/N60-06935は、YF-12Aのままの唯一の生き残りであり、[[オハイオ州]][[デイトン]]近郊の[[ライト・パターソン空軍基地]]にある米国立アメリカ空軍博物館に展示されている。
 
[[Image:YF-12C on ramp.jpg|thumb|250px|YF-12C]]