「リーフ地方」の版間の差分

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リーフには有史以前よりベルベル人が住んでいたとされる。[[紀元前11世紀]]には早くも[[フェニキア人]]がやってきて交易を開始し、テトゥアン、[[メリリャ]]、タンジェといった街を建設した。やがてフェニキア人のうちから[[カルタゴ]]が強大となってこの地域を支配するようになり、[[第3次ポエニ戦争]]後にリーフは[[共和政ローマ|ローマ共和国]]の領土となり、[[マウレタニア属州]]に属するようになった。[[ローマ帝国]]期に入ると、[[クラウディウス]]の時代にタンジェがMauretania Tingitanaの首都となった。[[5世紀]]には[[ヴァンダル王国]]に占領されてローマの時代は終わった。[[6世紀]]にはヴァンダルを滅ぼした[[ビザンツ帝国]]の支配下となった。
 
[[710年]]、Salih I ibn Mansurがネコル王国を建ててこの地域で自立し、この地域のベルベル人をイスラム化した。15世紀には対岸の[[スペイン]]の[[アンダルシア州|アンダルシア]]地方から多くの[[ムーア人]]が追放されてリーフに定住し、[[アンダルシア州|アンダルシア]]音楽をはじめとする新しい文化をこの地にもたらした。一方で、[[1492年]]にアンダルシアの[[ナスル朝]]を滅ぼしたスペインと[[ポルトガル]]は海を渡りこの地方にも侵攻し、[[1415年]]にはポルトガルが[[セウタ]]を、1490年にはスペインが[[メリリャ]]を占領した。その後は平和が続いたものの、[[1859年]]には[[テトゥアン]]でスペインとモロッコの衝突がおき、モロッコが敗北した。やがてこの地方はスペイン領となり、[[スペイン領モロッコ]]が成立したものの、これに反対するベルベル人は3度の反乱を起こした。特に規模の大きかった[[1921年]]の[[第三次リーフ戦争]]では、[[アブド・エル・クリム]]に率いられたベルベル人が[[アンワールの戦い]]において[[スペイン軍]]を撃破し、[[リーフ共和国]]が建国されたものの、やがてスペインによって鎮圧され、アブド・エル・クリムは[[レユニオン]]へと流された。やがて[[1956年]]、この地域は南のフランス領モロッコとともにモロッコとして独立した。
 
[[ファイル:Localisation du rif.png|thumb|250px|リーフ地方の位置(赤)]]