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| 画像説明 = [[横浜文化体育館]]で行われたハッスル・ツアー2008〜7.27 in YOKOHAMA〜にて
| リングネーム = '''ゼウス'''
| 本名 = 大林  賢将<ref name=GONG/>
| ニックネーム = ザ・ストロンガー
| 身長 = 183cm
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| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1982|1|27}}
| 死亡日 =
| 出身地 = [[大阪府]]<ref name=GONG/>
| 所属 = [[全日本プロレス]]
| スポーツ歴 = [[ボディビル]]<br />[[ボクシング]]
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}}
 
'''ゼウス'''([[1982年]][[1月27日]] - )は、[[日本]]の[[男性]][[プロレスラー]]、元[[プロボクサー]]、元[[ボディビルダー]]である。[[全日本プロレス]]所属。本名:'''大林  賢将'''(おおばやし けんしょう)<ref name=GONG/>[[大阪府]][[大阪市]]<ref name=GONG/>出身。プロボクサー時代は[[クルーザー級]]、[[仲里・ATSUMIボクシングジム]]所属。
 
== 人物 ==
* [[2010年]][[ファッションモデル|モデル]]と結婚。
 
かつては[[在日朝鮮人]]で「'''金谷 成格'''(かなや しげまさ)」という[[通名]]を名乗っていたが、2011年に日本に[[帰化]]し、それと同時に本名を現在の名前に改名した。
[[在日朝鮮人]]3世で幼少期の名前は「'''金 繁優'''」(きん しげまさ、韓国語読み:キム・ボヌ)<ref name=GONG/>。「'''金谷 成格'''(かなや しげまさ)」という[[通名]]を名乗っていたが、2011年に日本に[[帰化]]し<ref name=GONG/>、それと同時に本名を現在の名前に改名した<ref name="GONG">『[[週刊ゴング|ゴング]]』第8号 pp50 - 57 掲載の本人へのインタビュー「プロレスで這い上がる成り上がる。」 聞き手:[[斎藤文彦]](2015年9月 発行:[[アイビーレコード]] 発売:[[徳間書店]]) ISBN 978-4-19-710417-8</ref>。
 
== 経歴 ==
内進で進学した高校を素行不良で退学になり大阪朝鮮高等学校に入り直したがまたも退学となる<ref name=GONG/>。その後紆余曲折を経て[[ボディビル]]を始めることとなる<ref name=GONG/>。
 
=== ボディビル ===
*プロレス転向前は[[ボディビル|ボディビルダー]]として活動していた頃は、[[フライパン]]を軽々と折り曲げる怪力を[[TBSテレビ|TBS]]系「[[オールスター感謝祭]]」等で披露したこともある。[[2004年]]、大阪ボディビル選手権ライトヘビー級優勝<ref name=GONG/>。JPCのコンテスト(本人いわく「怪力コンテスト」)も優勝経験がある<ref name=GONG/>
*[[2004年]]、大阪ボディビル選手権ライトヘビー級優勝。
 
=== プロレス ===
ボディビルダー時代の20歳の頃に一度[[全日本プロレス]]に履歴書を送ったことがあったがその時は採用されることはなかった<ref name=GONG/>。
 
==== 大阪プロレス入団 ====
*履歴書を送っていた他[[Gamma]]の誘いもあり[[2006年]]に[[大阪プロレス]]に入団<ref name=GONG/>、同年11月にヒールユニット、[[バッドフォース]]のメンバーとしてデビュー。12月にはデビュー1か月に満たないにもかかわらず[[GAINA]]とのタッグで[[大阪プロレスタッグ王座]]を獲得した。
 
*[[2008年]]1月にバッドフォースを追放されてからは正規軍に加入。2月に行われた団体最大の興業「大阪ハリケーン」では[[新崎人生]]とシングルで対戦し勝利。4月には若手選手による新ユニット「[[BLOOD&amp;GUTS]]」を結成。同月の大阪プロレス9周年興業では[[曙太郎|曙]]とシングルで対戦、敗れたものの200kgを超える曙を肩車で持ち上げ投げ飛ばすという怪力ぶりを発揮する。
*[[亀田興毅]]似の顔立ちと大阪出身で[[大阪弁]]のために[[ミラクルマン (プロレスラー)|ミラクルマン]]との抗争で「亀田ゼウス」に改名させられそうになったが、試合に勝利し、リングネームを死守した。そのためハッスルでは「亀田」と呼ばれることが多々ある。
 
*[[亀田興毅]]似の顔立ちと大阪出身で[[大阪弁]]のために[[ミラクルマン (プロレスラー)|ミラクルマン]]との抗争で「亀田ゼウス」に改名させられそうになったが、試合に勝利し、リングネームを死守した。そのためハッスルでは「亀田」と呼ばれることが多々ある。
 
==== ハッスル参戦 ====
*大阪に参戦していた[[KUSHIDA]]との因縁から[[ハッスル (プロレス)|ハッスル]]参戦を示唆、5月13日のハッスル・ハウス後楽園大会に乱入し[[坂田亘]]らを急襲、24日のハッスル・エイドにも乱入し[[川田利明]]をフライパンで急襲し参戦をアピールした。7月27日のハッスル横浜大会で行われたハッスルGP1回戦の「こ・り・た・ん」vs[[小路晃]]戦の試合前に小路をフライパン攻撃で失神させ、小路に替わり試合に参戦し圧勝する。8月21日のハッスル[[後楽園ホール|後楽園]]大会では小路のリベンジマッチを受け、これを返り討ちにする。8月23日のハッスル大阪大会で行われたGP2回戦では[[ボブ・サップ]]に勝利。しかし9月28日ハッスル名古屋大会で行われた準決勝では川田に敗れる。
 
*10月ハッスル栃木大会では、メインの川田vs坂田の途中、観戦していた川田の父が発作で倒れる。父の容体が気になった川田だったが、ゼウスが会場から救急車へ担いで搬送する。
 
==== ボクサー転向 ====
*日本人のヘビー級ボクサーを育成したいというオファーを受け<ref name=GONG/>、2009年2月、日本ボクシング界にヘビー級が復活したことをきっかけにボクサー転向を宣言し大阪プロレスを退団。[[仲里・ATSUMIボクシングジム]]に所属する。[[クルーザー級]]としてライセンスを取得し、同年12月、'''ゼウス金谷'''としてプロデビュー。デビュー戦は4R判定負け。その後も試合は組まれないまま、2010年4月22日、デビュー戦のみで協会に引退届けを提出。
 
==== 再びプロレスへ ====
*2010年4月29日、大阪プロレスにてレスラー復帰。同じくボディビル出身の[[The Bodyguard]]とのタッグチーム「[[ザ・ビッグガンズ]]」として活動、2014年1月29日大阪プロレス選手権王者となる
*同じくボディビル出身の[[The Bodyguard]]とのタッグチーム「[[ザ・ビッグガンズ]]」として活動している。
*2014年1月29日大阪プロレス選手権王者となる。
 
==== 大阪プロレス参戦終了後 ====
*2014年の[[全日本プロレス]][[チャンピオン・カーニバル (プロレス)|チャンピオン・カーニバル]]に参戦することが発表された。主な参戦団体は全日本プロレスなどである。さらには大阪プロレスを退団した[[ビリーケン・キッド]]、The Bodyguard、[[菅沼修]]、[[三原一晃]]、[[織部克巳]]とともに[[道頓堀プロレス]]にも参戦。
 
*9月13日、[[DDTプロレスリング]]に参戦。[[DDT EXTREME級選手権]]試合で王者[[男色ディーノ]]とリング上で対戦相手以外の第三者の男性に3秒間キスをすると言う変則ルールでの王者戦に敗北。試合後[[松井幸則]]レフェリーに求愛をする。
 
*2015年2月7日、全日本プロレスで[[潮崎豪]]の持つ[[三冠ヘビー級王座]]に挑戦し熱戦の末にたが敗北した。8月16日にも[[曙太郎|曙]]の持つ同王座に挑戦したが敗れた。
 
==== 全日本プロレス入団 ====
*8月29日の全日本・後楽園ホール大会において、9月1日付で全日本所属になることを表明した<ref>[http://www.daily.co.jp/ring/2015/08/30/0008349249.shtml ゼウス、9月1日付での全日本入り発表] デイリースポーツ 2015年8月30日</ref>。
 
==得意技 ==
; [[パワーボム|ラストライド]]
: 天王山2013決勝戦で使用した新技。
; [[ラリアット|バイセップス・エクスプロージョン]]
: ゼウスが放つアックスボンバー。実際にはアックスボンバーとラリアットの中間のフォームで打たれるのが特徴。技名は直訳すると「二頭筋爆発」となる。コーナーからのダイビング式は'''バイセップス・ニュークリア・エクスプロージョン'''(二頭筋核爆発)となる。
; ジハード
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: 相手の体をリフトアップしてから[[オクラホマ・スタンピード]]に移行する技。
; ゼウス・ボム
: ジャンピング[[パワーボム]]
; ネック・ハンギング・ツリー
; フライパン攻撃