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'''元徳皇后'''(943(げんとくこうごう、[[943]] - [[977年]])は、[[北宋]][[太宗 (宋)|太宗]]の側室。姓[[諱]]は'''李氏'''。[[真宗 (宋)|真宗]]の母で皇太后として追尊された。姓は'''李氏'''
 
== 生涯 ==
初め、美女でありながら、[[真定]]の人。李英の娘。[[開宝]]の時年間[[趙匡胤|太祖]]により晋王趙匡義(のちの太宗)に側室として与えられ、隴西郡君に封ぜられた。太宗が即位すると、隴西郡夫人に封ぜられた。美女であり、趙恒(のちの真宗)など多くの子供を産んが、身分は低い身分に置かれた
[[真定]]の人。李英の娘。
 
[[太平興国]]2年3([[977年]])3月12日、死去した。[[至道]]3年5([[997年]])5月、真宗が即位すると、賢妃を追贈された。同年12月、皇太后として追尊された。
初め、美女でありながら、[[開宝]]の時、太祖により晋王趙匡義(のちの太宗)に側室として与えられ、隴西郡君に封ぜられた。太宗が即位すると、隴西郡夫人に封ぜられた。趙恒(のちの真宗)など多くの子供を産んたが、身分は低い。
 
[[太平興国]]2年3月12日、死去した。[[至道]]3年5月、真宗が即位すると、賢妃を追贈された。同年12月、皇太后として追尊された。
 
== 子女 ==
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* 『[[宋史]]』元徳皇后伝
 
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[[Category:北宋の妃嬪]]
[[Category:北宋の皇后]]
[[Category:943年生]]