「閑山島海戦」の版間の差分

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李舜臣は自身の記録である「見乃梁破倭状」で日本艦隊の発見数を大船36隻・中船24隻・小船13隻、撃破数を63隻と記録している。しかし、脇坂安治への動員定数が1500人であることを考えると、発見数と戦果は過大申告である。(翌年5月の晋州城攻撃時の脇坂軍の点呼員数は900人)。
 
韓国では、脇坂安治の軍の兵力が5000~12000人などとする主張があるが、日本と韓国の史料にそのような記述は存在しない。また、3万[[高|石]]程度の大名である脇坂安治が、5000人以上の兵力を動員することは不可能であり非現実的である。慶長の役においても、脇坂安治の動員数は1200人である。
 
文禄の役での動員数の例