「フィレモンへの手紙」の版間の差分

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== 特徴 ==
個人的な書簡であることを考えれば、『フィレモン書』が神学や思想にほとんど触れていないことは無理もない。[[マルティン・ルター]]は『フィレモン書』をパウロとキリストに共通する「ゆるし」という視点からとらえているが、ルターもこの手紙でパウロが社会制度の変革を考えているとは考えなかった。つまりパウロはオネシモの奴隷身分については変えようとせず、当時の法律に従って逃亡奴隷であるオネシモを主人フィレモンのもとに送り返そうとしているのである。
 
{{要出典範囲|『フィレモンへの手紙』は近代に入ってイギリスやアメリカで奴隷制度の是非を巡って論議が起こった時に取り上げられることになった。興味深いことは、奴隷制度支持者と反対者の両方がこの手紙を論拠としたという事実である。近代以降の聖書研究者たちはこの手紙の中でパウロが奴隷制度については是非を明らかにしていないということで一致している。|date=2015年7月}}
 
== 脚注・出典 ==