「テオドシウス1世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
91行目:
[[Image:Solidus Valentinian II trier RIC 090a.jpg|right|thumb|300px|ウァレンティニアヌス2世の下で鋳造された硬貨の裏に刻印されたウァレンティニアヌス2世とテオドシウスの後ろに、キリスト教の聖人を表す光輪がある]]
 
380年2月に出されたこのテッサロニキ勅令は[[ミラノ勅令]]以下コンスタンティヌス大帝の下に定められたキリスト教会の準公的な位置づけを無視する部分もあった。その最たるものは、異教の寺院であっても、公共建築として活用できるのであるならば、保護する事を命じた部分であった。だが、のちに「テオドシウス勅令」と呼ばれることになる一連の勅令では、次第に異教に対する風当たりを強くする内容が多々あった。
 
[[379年]]テオドシウスは、キリスト教以外の宗教の祭日がキリスト教における平日に行なわれていると罵倒し始めた。[[381年]]になると、テオドシウスは非キリスト教の神に捧げる犠牲を禁じ、「誰も、聖域に行くことはなく、寺院を歩いて通り抜け、人の労働で作成された像を見てはならない」と定めた。