「ネーデルラント」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
5行目:
 
== 歴史 ==
[[中世ハンザ同盟]]以降、のころから[[フランドル]]を中心に[[商業]]が発展し、[[西ヨーロッパ]]の先進地域だった。[[14世紀]]後半、[[ブルゴーニュ公国]]領としてこの地域は政治的に統合され([[ブルゴーニュ領ネーデルラント]]を参照)、[[15世紀]]後半には[[ハプスブルク家]]が継承した。
[[ファイル:The Low Countries.png|サムネイル|16世紀中期から17世紀中期までのネーデルランド]]
ハプスブルク家がオーストリア系・スペイン系に分かれると、ネーデルラントは[[スペイン・ハプスブルク朝|スペイン・ハプスブルク家]]が支配した。[[宗教改革]]以降、[[プロテスタント]]の勢力が[[カトリック教会|カトリック]]国[[スペイン]]の支配に抵抗し、ネーデルラントの北部7州は[[八十年戦争]]を経て、1648年に[[ヴェストファーレン条約]]によってスペイン・ハプスブルク家の支配から独立した。北部7州は連邦制・共和制([[ネーデルラント連邦共和国]])、フランスの支配([[バタヴィア共和国]]、[[ホラント王国]]、[[フランス第一帝政|フランス帝国]]への併合)を経て、[[オラニエ=ナッサウ家]]を王家とする現在の[[ネーデルラント連合王国|ネーデルラント王国]](オランダ)に到る。