「本澄寺 (高槻市)」の版間の差分

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[[文明 (日本)|文明]]3年(1471年)[[烏丸資任|烏丸大納言資任]]の猶子権大僧都日順の開創になる。
当寺に祀る祖師像は[[日蓮]]の自作と伝え、世に上牧の高祖といわれる。
この像は、[[相模国]][[鎌倉]]で刻まれ、弟子[[日澄]]が[[総国|総州]]滝山妙階寺に移し、その後由良光寛が丹後に移した後、元亀元年(1570年)当地の豪士富松兼重(牧蒸兼重)に伝わり一堂を立てて安置した<ref>天坊幸彦『三島郡の史蹟と名勝』(1961)(大阪府学務部編『大阪府史蹟名勝天然記念物』 三島郡(1974)に収録 {{全国書誌番号|73009804}} )</ref>。
[[江戸時代]]初期に[[東福門院]]が祈願して以来多数の信仰を集め、往時は塔頭11坊を擁した大寺であった。