「武家政権」の版間の差分

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[[江戸時代]]末期になり、諸外国が幕府に開国を求めると、[[尊皇攘夷]]などの運動が盛んとなり、政情不安の中で、十五代将軍の[[徳川慶喜]]は[[大政奉還]]を行い、武家政権は終焉を迎えた。ただし[[徳川氏|徳川家]]としての武家権力は残るが、やがて[[鳥羽・伏見の戦い]]に始まる徳川家を中心とする勢力と改革により復興した西日本の薩長土肥雄藩との内戦は朝廷による官軍となった薩長土肥側の勝利となる。しかしこれは雄藩側も各藩の実務下級藩士勢力のクーデターという面を持っている。以後の日本は[[明治政府]]が統治を行い、[[大名]]は[[華族]]、他の武士は[[士族]]とされ、武家は消滅していった。武家の思想は、教育による家族制度の徹底化や徴兵制による軍事国家など明治近代日本に変化した形で生き残ってその後の日本を生み出す元になった。
 
== 武家政権の一覧 ==
'''朝廷を支配した政権'''
* [[平氏政権]]([[伊勢平氏|平家]])
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* [[三職推任問題]]
* [[関白相論]]
* [[日本の政権一覧]]
 
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