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== 日本の屋台 ==
[[江戸]]は元々男性の単身赴任者が多い町だったが、[[明暦の大火]]以降労働者が流入し外食の需要が高まっていた。それに伴って煮売り、焼売りと呼ばれる料理屋が急増した。店舗で商う場合「店にて売り」と呼ばれたが、大半は担い売りと呼ばれる路上営業の屋台だった<ref name="edono" >原田信男 編『江戸の食文化:和食の発展とその背景』小学館、2014年、ISBN 9784096266182、pp.124-129.</ref>。
[[日本]]では、[[江戸時代]]の享保年間に現れておりこの時代に発達し人気となり広がった。この[[江戸]]では、[[寿司|握り寿司]]や[[蕎麦|蕎麦切り]]、[[天ぷら]]といったすぐに提供できる食べ物が屋台で提供された<ref name="pura">[http://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish40.html 天ぷらの話]</ref>。その後に、[[おでん]]、[[焼き鳥]]店も出現し、軽食やおやつの外食が広がった<ref name="pura" />。
 
[[日本]]では、[[江戸時代]]の享保年間に現れておりこの時代に発達し人気となり広がった。この[[江戸]]では、[[寿司|握り寿司]]や[[蕎麦|蕎麦切り]]、[[天ぷら]]といったすぐに提供できる食べ物が屋台で提供された<ref name="pura">[http://www.abura.gr.jp/contents/shiryoukan/rekishi/rekish40.html 天ぷらの話]</ref>。その後に、[[おでん]]、[[焼き鳥]]店も出現し、軽食やおやつの外食が広がった<ref name="pura" />。
 
屋台は寺社の門前、[[町屋 (商家)#大店|大店]]の立ち並ぶ通りなど、人の集まりやすい場所に出現した。江戸の各所に設定されていた[[広小路]]や[[火除地]]には、床店と呼ばれる移動可能な店舗や屋台が密集し賑わっていた<ref name="edono" />。また、港や[[河岸]]といった船が密集する場所では、売々船(うろうろぶね)呼ばれる水上の屋台が船員を相手に飲食物を提供していた。
 
===現代の屋台===