「ベンガル太守」の版間の差分

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イギリスは最初は間接統治を行い、ベンガルとビハール、オリッサにはインド人の代理ディーワーンを配置して収祖権を行使した<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.274</ref>。その理由は、またベンガルという不安定な政治にかかわることで、貿易活動で生み出される巨額の利益を失いことを恐れたからであった<ref>メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.</ref>。だが、徴税業務を行う太守の役人への不信感、そして新たな戦争を行うため莫大な資金を必要とした<ref>メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.82</ref>。
 
そのため、[[1772年]][[5月14日]]にベンガル知事[[ウォーレン・ヘースティングス]]はディーワーニーを受諾し、自ら徴税業務を行うことにし、同時に行政・司法も直接統治に移行されこととなった<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.274</ref><ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』年表、p.44</ref><ref>メトカーフ『ケンブリッジ版世界各国史 インドの歴史』、p.82</ref>。ここにベンガル太守の領有権は事実上失われ、ベンガルの植民地化は決定した。またこのとき、代替わりの度に減額されていた太守への内定費は160万ルピーへと固定された<ref>小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.274</ref>。
 
[[1793年]][[9月10日]]、ベンガル太守が保持していたベンガル、ビハール、オリッサの名目上の統治権([[ニザーマト]])がイギリスに接収された<ref>[http://www.boloji.com/index.cfm?md=Mobile&sd=PoemArticle&PoemArticleID=82 Zafar's Poetry: Rebellion and Pain]</ref>。これにより、ベンガル太守は単なる有名無実の肩書となり、完全にイギリスの年金生活者と化した<ref>[http://www.boloji.com/index.cfm?md=Mobile&sd=PoemArticle&PoemArticleID=82 Zafar's Poetry: Rebellion and Pain]</ref>。
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