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{{最高裁判例
|事件名=窃盗、強盗殺人事件
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'''仁保事件'''(にほじけん)とは、[[1954年]][[10月26日]]に[[山口県]][[吉敷郡]][[大内町 (山口県)|大内村]]仁保(現
== 事件の概略 ==
年齢は全て事件当時のものである。
=== 事件発生 ===
事件は、[[1954年]][[10月26日]]の午前0時頃に発生した。
事件現場は、[[日本国有鉄道|国鉄]](現[[西日本旅客鉄道|JR]])[[山口線]][[仁保駅]]の北東に2キロほど行った山あいの中腹に位置する農家の一つで、一家の主で[[農業]]を営む男性
6名は頭部や顔面を鈍器で殴打されたり、頸部と胸部を鋭利な刃物で刺されたりされ、蒲団の上で血染めになって死亡していた。後に、捜査当局は頭部を[[鍬]]で割り、頚動脈を切り[[心臓]]を刺すという執拗な殺害方法であると断定した。
事件が発覚したのは、同日早朝の午前7時頃。いつもと違ってこの農家の雨戸が開いていない点を不審に思った隣家の[[主婦]]が不審に思い家の中を覗き見たところ、6名の遺体を発見、警察へ通報した。
=== 難航する捜査から容疑者の逮捕まで ===
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そして、[[11月2日]]に山口県警での仁保事件に関する取調べがスタートした。しかし、前述のように確固たる証拠のない状態での取調べであったことから、男性は[[アリバイ]]を申し立てて犯行への関与を否定。調書によれば初めて否認したのは[[11月9日]](ただし、調書がとられたのは翌日の[[11月10日]])となっている。
その後、[[11月22日]]の調書に犯行の自供が記録されているが、自供そのものは録音テープ
この事件では、日本の警察では珍しく取調べの様子が録音テープに記録が残っている。後述するようにこのテープはのちのち重要になるのでここで詳しく触れておく。これは、仁保事件の3年前に同じ山口県で起こった[[八海事件]](後に冤罪事件となる)で被告の自供が法廷での争点となった点を踏まえたものであった。
このテープは全部で33巻にも及ぶ。しかし、これは取り調べの全容を網羅したものではなく、あくまでその一部を記録したものに過ぎない。結果としてテープは法廷で検察側によって被告の自供を補強する役割しか果たさなかった。
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== 裁判の経過 ==
== 補足 ==
* 事件現場は現在では草木に覆われており、凄惨な事件の痕跡を残すものは何もないという。
* 仁保事件に題を得た
* この事件には、当時[[東京都立大学]]の研究室に所属していた[[小田中聰樹]]
== 参考文献及び関連書籍 ==
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[[Category:山口市の歴史]]
[[Category:日本の判例]]
[[Category:一家殺傷事件]]
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