「大潮 (駆逐艦)」の版間の差分

m
→‎太平洋戦争緒戦: 誤字修正(秋月型4番艦「涼月」→3番艦「涼月」)、朧沈没の表記を修正
m (誤字修正(艤装委員長→艤装員長))
m (→‎太平洋戦争緒戦: 誤字修正(秋月型4番艦「涼月」→3番艦「涼月」)、朧沈没の表記を修正)
8月13日、前月7月5日に米潜水艦[[グロウラー (潜水艦)|グロウラー]] (''USS Growler, SS-215'')の雷撃により大破した朝潮型9番艦「[[霞 (朝潮型駆逐艦)|霞]]」が舞鶴に到着<ref>[[#S1708舞鎮日誌]]p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂工事=豫定通進捗中/霞工事=損傷復舊工事ノ爲本月十三日入港目下損傷部調査中 (b)利根筑摩ノ整備工事ハ六日完成シ作戰地ニ向ケ進出セリ 夕風(二十一日)、室戸(二十四日)ハ附記ノ通入稿以來極力進捗中』</ref>。
8月20日附で友重中佐(舞鶴防備隊副長、大潮艦長、那珂副長)は霞駆逐艦長も兼務することになった<ref name="jirei926">{{アジア歴史資料センター|C13072086600|昭和17年8月20日付 海軍辞令公報(部内限)第926号 pp.44-45}}</ref>。
9月3日、グロウラーの雷撃で「霞」と共に大破した陽炎型2番艦「[[不知火 (陽炎型駆逐艦)|不知火]]」が舞鶴に到着<ref>[[#S1709舞鎮日誌]]p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂及霞ノ特定修理、損傷復舊工事ハ前月ニ引續キ豫定通順調ニ進捗シツツアリ/不知火九月三日入港損傷調査竝修理實施準備ヲ爲シツツアリ』</ref>。9月10日附で、大潮艦長および霞艦長職務は友重中佐から[[杉岡幸七]]中佐(陽炎型駆逐艦12番艦[[磯風 (陽炎型駆逐艦)|磯風]]初代艦長等)に交代<ref name="jirei939">{{アジア歴史資料センター|C13072086800|昭和17年9月10日付 海軍辞令公報(部内限)第939号 pp.32-33}}</ref>。また同日附で不知火駆逐艦長[[赤澤次壽雄]]中佐は秋月型43番艦「[[涼月 (駆逐艦)|涼月]]」艤装員長へ転出したため、杉岡中佐は不知火艦長も兼務することになった<ref name="jirei939"/>。
1942年(昭和17年)10月20日、修理を終えた「満潮」が第8駆逐隊に編入される<ref>[[#内令昭和17年10月(4)]]pp.10-11『内令第千九百三十四號|驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「荒潮」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「弥生、」ヲ削ル』</ref>。同時に第8駆逐隊司令として[[山代勝守]]大佐が着任<ref name="jirei968">{{アジア歴史資料センター|C13072087400|昭和17年10月20日付 海軍辞令公報(部内限)第968号 p.1}}</ref><ref group="注釈">山代勝守大佐は、本艦初代駆逐艦長。</ref>。第8駆逐隊(満潮、朝潮)は[[ガダルカナル島の戦い]]に参加するため[[ソロモン諸島]]へ進出したが、「満潮」は11月13日に[[ショートランド諸島]](ショートランド泊地)で空襲を受け大破した([[第三次ソロモン海戦]])<ref name="海軍駆逐隊154">[[#海軍駆逐隊(2015)]]154-155頁『戦績は永遠に』</ref>。
その頃の舞鶴海軍工廠は、島風型「島風」、秋月型「初月」、夕雲型駆逐艦複数隻の建造と、「那珂、大潮、霞(8月13日舞鶴着)、不知火(9月3日舞鶴着)、[[初春 (初春型駆逐艦)|初春]](11月6日舞鶴到着)」等の修理工事に追われていた<ref>[[#S1711舞鎮日誌]]p.5『(a)損傷復舊工事 大潮、那珂、霞及不知火ハ概ネ豫定通進捗中/初春六日入港工事ニ着手シ中央要求ニ即應極力工事促進中』</ref>。
 
11月15日附で杉岡中佐は陽炎型16番艦「[[嵐 (駆逐艦)|嵐]]」駆逐艦長へ転出<ref name="jirei988a">{{アジア歴史資料センター|C13072088200|昭和17年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第988号 p.12}}</ref><ref group="注釈">1943年(昭和18年)8月6日、[[ベラ湾夜戦]]で嵐沈没時に戦死。</ref>。10月17日に沈没した吹雪型駆逐艦「[[朧 (吹雪型駆逐艦)|朧]]」駆逐艦長[[山名寛雄]]少佐(10月17日、北方方面で沈没)が、大潮艦長および霞艦長・不知火艦長・初春艦長を兼務することになった<ref name="jirei988b">{{アジア歴史資料センター|C13072088200|昭和17年11月15日付 海軍辞令公報(部内限)第988号 p.13}}</ref><ref group="注釈">山名中佐は、霞艦長を経て秋月型駆逐艦8番艦[[冬月 (駆逐艦)|冬月]]艦長</ref>。
12月21日附で大潮艦長は[[廣瀬弘]]中佐に交代<ref name="jirei1017">{{アジア歴史資料センター|C13072088600|昭和17年12月21日付 海軍辞令公報(部内限)第1017号 pp.32-33}}</ref>。
12月27日、「那珂」や「霞、不知火、初春」に先駆けて「大潮」の修理が終わる<ref>[[#S1712舞鎮日誌(1)]]p.6『(a)損傷復舊工事 大潮 豫定通二十七日完成/那珂、霞及不知火 概ネ豫定通進捗中/初春 極力工事促進中|(b)修理艦船 木曾 十二日入港修理工事ヲ促進三十日完了/長良 二十七日入港徹夜修理作業ヲ續行中』</ref>。12月29日附で本艦は第8駆逐隊に復帰<ref>[[#内令昭和17年12月(5)]]p.21『内令第二千四百二十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、大潮」ヲ加フ』</ref>。同隊は定数4隻(朝潮、荒潮、満潮、大潮)を回復したが、「満潮」大破と「朝潮」内地帰投修理ため、昭和18年初頭における実動戦力は2隻(荒潮、大潮)だった。同日、本艦は[[ソロモン諸島]]に進出するため舞鶴を出発した<ref>[[#S1712舞鎮日誌(2)]]p.24『二九日(天候略)初月竣工引渡/大波竣工呉鎮部隊ニ編入/大潮修理工事完成「ラバウル」ニ向ケ發』</ref>。
4,098

回編集