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40年以上に及ぶ、世界の地名資料収集の規模は東日本において(推定)最大であり、日本有数の規模を持つ。書籍のみではなく、諸外国の地名関連の資料を多数収集する。特に世界の地名の変遷、命名、改名の理論を研究。
また毛沢東バッジの収集においても世界的に有名で、多年の中国駐在中に収集した文化大革命以前の初期バッジのコレクションは中国においてもよく知られている。特筆すべきは、中国でもそれまでほとんど知られていなかったが、中国では文化大革命以前にも、文化大革命時期とは数量的には比較にならないが、多種の毛沢東崇拝に由来する毛バッジが製造されており、それらは中華人民共和国の政府関連機関によって様々な行事参加章、記念章、褒章、勲章などに使用され、物資が不足していた中国で、身につける数少ない金属製品として、共産党の活動や毛沢東の崇拝に活用されたこと、そして、この種のバッジの歴史がそれまでの通説より20年以上さかのぼること、中国の肖像バッジの源流は、ソ連や蒋介石などのバッジにあることなどを、バッジの中国全土のマーケット、収集家、政府機関などの旧幹部など広範のルートからの収集、分類、体系化により明らかにし、毛バッジが中国で持つ社会的な役割を明らかにし、これが文化大革命に突然現れたものではないことをはっきりさせ、その収集内容の多彩さが中国人の収集家をおどろかせ、文革バッジ一辺倒だった中国人収集家に、バッジは収集だけするものではなく、歴史学に活用すべきものと実例を示し、この方面に眼を開かせた(月刊「しにか」1994年6月号の「バッジから見た毛沢東時代」、同誌1995年7月号の「バッジから見た朝鮮戦争」、中国で発行されている雑誌の「収蔵」などへの寄稿のほか、櫻井に関する中国での報道は多数。)ことである。
また、特に文革研究への関心から始まった、中国や欧米のバッジの収集や研究のレベルは、櫻井の研究のはるかに後塵を拝しており、例えば2008年に出版された大英博物館の毛バッジの図録(Chairman Mao BadgesーーSymbols and Slogans of the Cultural Revolution)などは、櫻井の著作や収集を参照していないため、記述内容や収集内容が櫻井のそれと比較して立ち遅れ、極めて貧弱なことが理解できる(たとえばこの図録には文革以前の毛バッジは一枚も出ていないが、櫻井は文革期以前だけで約600種を収集したという)。
櫻井はまた1940年代後半頃の、共産党による山西省の解放区で作成された極めて珍しい「鄧小平バッジ」の発見、東北の実力者であった高崗のバッジなどの発見もしており、毛沢東だけでなく、鄧小平まで含めた個人崇拝につながる「肖像バッジ」が中国社会で持っていた役割についても研究を進めている。
櫻井はバッジの現物のみならず、中国各地からの、関係の文献や昔のバッジの金型までをも収集の対象としており、バッジを活用して、中国を歴史学あるいは社会学的に多面的に研究しようとしており、朝鮮戦争関係のバッジ、毛沢東バッジの影響により作製された北朝鮮の金日成バッジ(現在も成人はバッジの装着が義務づけられている)、スターリンバッジなどの毛沢東バッジの「周辺」の収集、研究も行っている。金日成バッジを中心にした月刊「しにか」(大修館書店)に書いた論文(「バッジで見る朝鮮戦争」)は、(推定)唯一の日本語による、金日成と毛沢東や中国との関係を表すさまざまなバッジに関する論文であり、ユニークかつ独創的な内容となっている。朝鮮戦争中に中国により日本批判(米軍に対する協力や哨戒艇の派遣などが原因であろう。)のバッジが作られていたことの、実例をも示している。毛バッジは現在の北朝鮮の金日成、金正日バッジの元になったものであり、3代にわたる金一族への個人崇拝とバッジの関係を知る上でも、興味深い研究になっている。金日成、金正日バッジの収集のためには、中朝国境付近にも赴いているという。