「鈴木繁朝」の版間の差分

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| 主君 = [[大道寺氏]]、[[北条氏康]]、[[武田信玄]]
| 氏族 = [[穂積氏]]流、[[江梨鈴木氏]]
| 父母 = 父:[[土岐氏]]<br />養父:''[[鈴木繁宗]]''
| 兄弟 = '''繁朝'''、[[鈴木繁時|繁時]]、娘
| 妻 = [[鈴木繁宗]]の娘、または繁宗の子・繁勝の娘
| 妻 = 不詳
| 子 = 繁光、繁精、'''[[鈴木繁定|繁定]]'''、繁経、女子、女子
| 特記事項 =
}}
 
'''鈴木 繁朝'''(すずき しげとも、生年不詳‐[[永禄]]5年([[1562年]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[穂積氏]]流・[[江梨鈴木氏]]の当主。[[戦国大名]]、[[後北条氏]]の重臣。父は[[鈴木繁宗]]、子に[[鈴木繁定]]。[[官位]]は[[兵庫助]]、[[左衛門大夫]]。通称、次郎三郎。
 
== 略歴 ==
鈴木繁朝は、[[江梨鈴木氏]]の当主で、先代の[[鈴木繁宗]]の子。[[伊豆国]]江梨村の江梨城(鈴木氏館)を本拠に江梨五ヶ村を支配し、[[伊豆水軍]]の武将として[[後北条氏]]に仕えた。[[小田原衆所領役帳]]によると、鈴木次郎三郎として河越衆に属し江梨村に100貫文の所領役高を与えられていた。また、同心として土岐源六の名が見られる。[[天文 (元号)|天文]]24年([[1555年]])の[[川中島の戦い|第二次川中島の戦い]]に武田方として参戦しており、[[武田信玄]]から感状を賜っている。
 
[[武田信玄 (NHK大河ドラマ)]]では、伊藤浩之演じる「鈴木兵庫之助」として登場する。
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== 参考文献 ==
* 静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会∥編著『静岡県姓氏家系大辞典』1995年。
* 沼津史談会『沼津史談 第36号 –ルーツ探訪(そのニ)江梨鈴木繁朝の嫡子 大学繁脩の父は繁光か 関為弥氏-』。
* 小和田哲男『後北条氏研究』1983年。
* 沼津市立駿河図書館『江梨鈴木氏由緒書』1980年。
* 永岡治『伊豆水軍物語』1982年。