「グレアム・チャップマン」の版間の差分

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[[1989年]][[10月4日]]、48歳の若さで死去。死因は[[喉頭]][[癌]]とそれに伴う[[肺炎]]。彼の最期を看取ったのはパイソンズのメンバーだった[[ジョン・クリーズ]]と[[マイケル・ペイリン]]、パートナーのデイビッド・シャーロック、弟のジョンとその妻だった。[[テリー・ジョーンズ]]と[[ピーター・クック (コメディアン)|ピーター・クック]]は同日見舞いには来ていた。人の死に目を見たことのなかったクリーズのショックは大きく、ほかの部屋まで付き添ってもらい休息しなければならない程だったと言われている。亡くなった日の翌日の10月5日は、奇しくも『空飛ぶモンティ・パイソン』が放送されて20年目のことだった。
 
葬儀は2ヵ月後に行われ、ジョン・クリーズが弔辞を読み上げた。弔辞は、グレアムを笑って送り出すためか、空飛ぶモンティ・パイソンの有名作『[[死んだオウムのスケッチ]]』をもじった一文があったり、中には「Fxxk」や、そのほかの汚い言葉も使われていた(チャップマンが今際の際にクリーズに言伝ていたという前置きのもと)。その後、映画『ライフ・オブ・ブライアン』の劇中歌であった「[[Always Look on the Bright Side of Life]]」が、[[エリック・アイドル]]の伴奏で歌われた。
 
死後、パイソンズ結成30周年直前のイベントにパイソンズが出席した際に、司会者のロバート・クラインの「彼に会いたかった」という台詞を受け登場(骨壷入りの遺灰で)。しかし、骨壷をギリアムに蹴っ飛ばされ、会場一面に散布された(しかも、その際パイソンズの面々が元チャップマンを集めるために使ったのは、ほうきに塵取り、果ては掃除機という扱いであった)。また、その際に、ジョン・クリーズは、指を舐めて唾をつけると遺灰を口にして、マイケル・ペイリンに「食うな!」と言われている。