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所在する猿橋町猿橋は桂川とその支流・葛野川の合流地点の付近に位置し、甲斐国と[[武蔵国]]・[[相模国]]の交通拠点に位置する。江戸時代には猿橋村が成立し、甲州街道の宿駅である猿橋宿が設置された<ref>『山梨県の地名』、pp.118 - 119</ref>。
 
猿橋の架橋については、7世紀に[[百済]]の[[渡来人]]である[[路子工#山梨県猿橋との関連|志羅呼]](しらこ)が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説がある<ref>『山梨県の地名』、p.118</ref>。
 
[[室町時代]]には、『[[鎌倉大草紙]]』によれば、[[関東公方]]の[[足利持氏]]が敵対する甲斐の[[武田信長]]を追討し、持氏が派兵した[[一色持家]]と信長勢の合戦が「さる橋」で行われ、信長方が敗退したという<ref>『山梨県の地名』、p.118</ref>。文明19年([[1487年]])には[[聖護院道興]]『[[廻国雑記]]』において、道興が[[小仏峠]]を越えて当地を訪れ、猿橋の伝承と猿橋について詠んだ[[和歌]]・[[漢詩]]を記録している<ref>『山梨県の地名』、p.119</ref>。