「札幌農学校」の版間の差分

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[[画像:William S. Clark.jpg|thumb|right|150px|ウィリアム・スミス・クラーク]]
札幌農学校の初代校長には[[調所広丈]]、教頭には[[マサチューセッツ農科大学]]学長の[[ウィリアム・スミス・クラーク]]が招かれた。クラークはわずか8ヶ月の滞在ではあったが、彼に直接科学と[[キリスト教]]的[[道徳教育]]の薫陶を受けた1期生からは[[佐藤昌介]](北海道帝国大学初代総長)や[[渡瀬寅次郎]](東京農学校講師、実業家)らを輩出した。また2代目のホイーラー教頭もクラークの精神を引き継ぎ2期生からは[[新渡戸稲造]](教育者)、[[内村鑑三]]([[思想家]])、[[広井勇]]([[土木工学]])、[[宮部金吾]]([[植物学]])らを出した。彼らは「札幌バンド」と呼ばれ、北海道開拓のみならずその後の日本の発展に大きな影響を与えた。3期生の斎藤祥三郎は外務省翻訳官となり、その子[[斎藤博 (外交官)|斎藤博]]は駐米大使在任のまま、アメリカで客死した。他に各市県の知事・市長を歴任した[[高岡直吉]],英語教育者佐久間信恭(五高,高等師範学校,大阪外国語学校等教師),北海英語学校(現[[北海高等学校]])設立者大津和多理,4期生には、国粋主義者[[志賀重昂]](しげたか),[[ジャパンタイムズ]]主筆[[頭本元貞]],[[英語青年]]を創刊した武信由太郎,農商務大臣秘書官等から実業を経て衆議院議員となった[[早川鉄冶]]等が出た。1~5期生の多くが官立英語学校(元[[外国語学校 (明治初期)]])で学んでおり,いわば継続的[[イマージョン・プログラム]]で培った英語力で後に各界に飛躍した。
<!--3期生以降情報が少ないのでどなたかよろしくおねがいします-->