「ワシントン・アーヴィング」の版間の差分

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アーヴィングは1829年からロンドンのアメリカ公使館に秘書官として勤務し、1832年にアメリカに帰国して、1835年に『スペインの征服者達の伝説 ''Legends of the Conquest of Spain''』を出版している。しかしこの時期の彼の主要な作品は3作の「西部」の本で、これらはアーヴィングがイギリスやスペインで過ごした時間が、彼をアメリカ人よりもヨーロッパ人に近づけてしまったことを忘れさせるために作られた。彼の最初の西部作品は1835年の『プレーリーの旅』である。この本の第10章の始まりは以下のような文章を含み、一部の文芸評論家から、彼の外面的様相に関する懸念の言葉であると解釈されている:
:私たちは自国の若者を外国に送り出し、ヨーロッパで贅沢に柔弱に育てている;私にはこう思える。以前のプレーリーの旅こそが寧ろ、人間らしさ、素朴さ、自力本願他者に頼らない、など我が国の政治慣習と調和する多くの物を生み出してくれた、と。
 
彼の二番目の西部の本は『アストリア ''Astoria''』である。彼はこの作品を、当時すでに引退していた大商人[[ジョン・ジェイコブ・アスター]]のもとに滞在していた6ヶ月の間に執筆した。この作品はアスターの、[[毛皮貿易]]植民地(現在の[[オレゴン州]][[アストリア (オレゴン州)|アストリア]])を作ろうとした試みに対する尊敬に満ちた物語である。