「春風亭柳枝」の版間の差分

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4代目が睦会を結成し、7代目まで睦会の名跡であった。4代目はもう一つ「[[春風亭小柳枝]]」という名跡も作り、柳枝の一つ手前の出世名としてきた。ところが小柳枝の名跡をめぐり[[落語芸術協会|日本芸術協会(現落語芸術協会)]]と睦会が対立した。日本芸術協会が勝利し、小柳枝の名跡を確保した。反面、柳枝の名跡は獲得できず、最後は[[落語協会]]に流出させた(1943年に落語協会で8代目襲名)。
 
8代目の弟子であった[[三遊亭圓彌]]は8代目遺族との調整がつかず、9代目襲名を断念した、その後[[2006年]]4月に圓彌が死去、以降柳枝を新しく襲名する者はしばらく現れないと思われる。なお、[[2015年]]10月現在8代目の弟子のうち、[[春風亭栄枝#7代目|7代目春風亭栄枝]]、[[三遊亭圓窓#6代目|6代目三遊亭圓窓]]が存命である。
 
また、[[上方落語|上方]]には[[桂柳枝]](「眼鏡屋の柳枝」かつら りゅうし)、三笑亭柳枝(「提灯屋の柳枝」さんしょうてい りゅうし)、その弟子で[[漫才]]師に[[三遊亭柳枝]](さんゆうてい りゅうし)がいるが、全く無関係。