「日本のダムの歴史」の版間の差分

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== 昭和4(19704(1965年-1988年) ==
[[高度経済成長]]は日本を世界有数の経済大国に押し上げた。しかし高度経済成長に伴う歪みは[[四大公害病]]をはじめとする[[公害]]など様々な[[社会問題]]を引き起こし、解決に相応の時間を要した。高度経済成長を支えたダム事業も、技術の発達や法整備によって日本各地で盛んに実施されたが、その[[副作用]]がダム事業の在り方を大きく変えてゆく。[[1970年代]]以降は、ダム事業が大きな曲がり角に差し掛かる時期であった。
 
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こうした移転住民に対する事業者の態度は、戦前の[[私権]]が十分に確立していない時期には住民不利になることが多かった。[[富山県]]の[[小牧ダム]]([[庄川]])では[[小牧ダム#庄川流木争議|庄川流木事件]]に見られる事業者と流域住民の対立が長期に及んだ。[[東京都]]の[[小河内ダム]]([[多摩川]])では旧[[小河内村]]全村945[[世帯]]が移転、移転した住民の苦難は[[石川達三]]の『日蔭の村』に描かれるほど困窮し一部は[[清里]]の[[開拓]]に未来を託し、[[昭和天皇]]も移転者のその後を気に掛けていた<ref name="ogochi"/><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=411 『ダム便覧』文献にみる補償の精神【54】]2015年8月10日閲覧</ref>。[[岩手県]]の[[田瀬ダム]]([[猿ヶ石川]])では移転後に変わり果てた我が家を見た住民が涙に暮れ<ref>『北上川百十年史』p.451</ref>、[[神奈川県]]の[[相模ダム]]([[相模川]])に至っては陸海軍の圧力に屈して不本意な補償内容を呑まざるを得なかった(「軍部の介入」節を参照)。戦後も岩手県の[[石淵ダム]]([[胆沢川]])で移転住民は満足な補償金を受け取れず困窮し<ref name="isawa">『湖水を拓く』pp.12-13</ref>、[[香川県]]の[[内場ダム]](内場川)では建設に反対して墳墓の土地を動かない一部住民に対して事業者の香川県が住民を追い出すため試験湛水を強行<ref>『河川開発』第10号pp.4-5</ref>。宇摩地域住民の悲願であった銅山川疏水を実現させた[[愛媛県]]の[[柳瀬ダム]]([[銅山川 (四国)|銅山川]])では補償交渉の席上愛媛県土木部長が将来観光地になって寂しい山奥が賑やかになると失言し、移転住民から「故郷を失う我々の前でボートとは何だ、観光客とは何だ」と悲痛な反論を受けている<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=246 『ダム便覧』文献にみる補償の精神【14】]2015年8月10日閲覧</ref>。私権の保護が重視されなかった戦前や、[[日本国憲法]]が施行されても[[生存権]]の尊重といった概念が確立していなかった戦後初期にあって「[[官尊民卑]]」の風潮が色濃く残っていた時代の問題であり、こうした事業者、特に[[建設省]]の態度は[[1963年]](昭和38年)に[[科学技術庁]]資源局が発行した『石淵貯水池の水没補償に関する実態調査報告』の言葉を借りるならば「国益を強調した権威主義と強制収用をちらつかせる強圧的態度」であり、「移転住民の気持ちを考え、移転後の生活を思い遣る態度は全く見られない」姿勢に終始していた<ref name="isawa"/>。
 
心情を理解されない移転住民の悲しみは、やがて事業者に対する強い怒りとなって表れ日本各地で激しいダム反対運動が巻き起こる。[[福島県]]の[[田子倉ダム]]([[只見川]])で[[1954年]](昭和29年)に発生した'''[[田子倉ダム#田子倉ダム補償事件|田子倉ダム補償事件]]'''は戦後のダム反対運動の先駆けであった。ダム建設に反対する住民は[[レッド・パージ]]で地下活動を行っていた[[日本共産党]]の思想的扇動を受けて反対運動を激化させ、円滑な補償を行うため事業者の[[電源開発]]と仲介した[[大竹作摩]][[福島県知事]]が提示した高額な補償金額に対して建設省が反対姿勢を明確にして混乱。解決に2年を費やした<ref>『電源只見川開発史』pp.462-470</ref>。159戸が移転した[[群馬県]]の[[藤原ダム]]([[利根川]])では何の前触れも無く建設省が突然ダム建設に取り掛かって住民が激怒し[[利根郡]][[水上町]]([[みなかみ町]])挙げての反対運動が勃発<ref>『湖水を拓く』pp.19-21</ref>。[[京都府]]の[[大野ダム (京都府)|大野ダム]]([[由良川]])では建設省の強硬姿勢に反発する住民に対し、[[蜷川虎三]][[京都府知事]]が住民本位の補償を建設省に求めて奔走し補償交渉妥結に導いた<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=249 『ダム便覧』文献にみる補償の精神【18】]2015年8月10日閲覧</ref>。こうした移転住民の不満は遂に九州・[[阿蘇山]]麓において火の手を挙げた。[[1957年]](昭和32年)に勃発した[[松原ダム]]([[筑後川]])・[[下筌ダム]](津江川)に対する日本最大のダム反対運動・'''[[下筌ダム#蜂の巣城紛争|蜂の巣城紛争]]'''である。[[昭和28年西日本水害]]による筑後川の激甚災害を機に計画された両ダムであるが、建設省担当者の移転住民の生活を思い遣らない態度に反発した室原知幸ら[[熊本県]][[阿蘇郡]][[小国町 (熊本県)|小国町]]住民は下筌ダム右岸に「蜂の巣城」という[[砦]]を築いて抵抗。[[1960年]](昭和35年)の九州[[地方建設局]][[代執行]]水中乱闘事件に見られる流血闘争や事業認定無効の法廷闘争、さらには[[日本労働組合総評議会]]や[[自由法曹団]]などの活動家も介入し都合13年にわたる激烈な反対闘争となった。蜂の巣城紛争は[[1970年]](昭和45年)に室原が死去し遺族と建設省の和解が成立して終結する。しかし単身で国家に抵抗した室原が唱えた「[[公共事業]]は法に叶い、理に叶い、情に叶うものでなければならない」という精神は、公共事業と日本国憲法が認める生存権との兼ね合いに大きな問題を投げかけた<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=235 『ダム便覧』文献にみる補償の精神【3】]2015年8月10日閲覧</ref><ref>『筑後川五十年史』pp.570-573</ref><ref>『河川開発』第22号pp.57-58</ref>。このほか群馬県の[[八ッ場ダム]]([[吾妻川]])や[[奈良県]]の[[大滝ダム]]([[紀の川]])、[[岡山県]]の[[苫田ダム]]([[吉井川]])では自治体・住民一体の激しい反対運動にまで拡大し<ref>『利根川開発史』p.1396</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1579 『ダム便覧』大滝ダム]2015年8月10日閲覧</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=605 『ダム便覧』ダムの書誌あれこれ(97)]2015年8月10日閲覧</ref>、遂には[[勇払郡]][[占冠村]]全村が反対した[[北海道]]の赤岩ダム計画([[鵡川]])や、移転戸数2,200世帯という途轍もない補償案件のため[[神田坤六]][[群馬県知事]]・[[群馬県議会]]・[[沼田市]]が反対した[[沼田ダム計画]](利根川)のようにダム計画が中止に追い込まれる例も現れた<ref>『占冠村史』pp.279-285</ref><ref>『沼田市史』通史編3近代現代pp.641-652</ref>。
 
移転住民への対応に関して建設省と正反対の態度を示したのが、電源開発であった。日本のダム事業史に残る大ダムを数多く建設した電源開発であるが、296戸が水没した[[佐久間ダム]]([[天竜川]])では木目細かい補償費用の算出を元にした交渉を行い、補償額が高いという批判に対して「生きている人間を相手に、一片のペーパープラン通りには行かない」と突っぱね<ref>『電発30年史』pp.86-87</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranB/TPage.cgi?id=315 『ダム便覧』文献にみる補償の精神【21】]2015年8月10日閲覧</ref>250戸が水没し「御母衣ダム絶対反対期成同盟死守会」による強烈な反対運動が繰り広げられた[[御母衣ダム]]([[庄川]])では初代総裁であった[[高碕達之助]]が住民と涙を流しながら交渉に当たり、[[藤井崇治]]副総裁が『幸福の覚書』を取り交わして妥結に持ち込んだ。み、さらに水没する樹齢400年の[[エドヒガン]]を[[笹部新太郎]]らの協力で高台に移植するという世界でも例のない離れ業をやってのけ、「[[荘川桜]]」として移転住民の故郷への思い出を残した<ref>『電発30年史』pp.127-129</ref><ref>[http://www.sakura.jpower.co.jp/story/ 電源開発『荘川桜物語』]2015年8月10日閲覧</ref>。建設省との共同事業で建設され、電源開発が施工を担当した[[九頭竜ダム]]([[九頭竜川]])では、移転529戸という大規模な補償案件であったが補償交渉が妥結するまで建設工事は行わないという「九頭竜補償方式」を確立。住民の信頼を得てわずか2年で補償交渉を妥結させた<ref>『電発30年史』pp.220-222</ref><ref>『日本の多目的ダム直轄編 1990年版』pp.304-305</ref>。
 
こうした補償問題に対して政府は[[1951年]](昭和26年)の[[土地収用法]]改正で補償の対象となる権利を明確化させて、補償交渉の円滑化を進めた。また[[1953年]](昭和28年)には電源開発に伴う水没その他による損失補償要綱、翌1954年に公共事業の施行に伴う損失補償要綱を策定。その後も続発する補償問題に対応すべく法整備を実施したが、移転戸数が多いダム事業の増加に伴いそれだけでは根本的な解決が難しくなった。[[1969年]](昭和44年)には[[全国知事会]]が水源地域開発のための立法化を要請、[[1972年]](昭和47年)には再度立法化のための知事会試案を政府に提出するなど補償問題で矢面に立つ地方自治体側から補償に関する法整備が強く要望された。これを受け政府は[[1974年]](昭和49年)に'''[[水源地域対策特別措置法]]'''(水特法)を施行した。水没戸数20戸以上または水没農地面積20ヘクタール以上(北海道は60ヘクタール以上)のダムについて生活再建、生活環境や産業基盤の整備などで住民の福祉増進を図ることを目的としており、[[1994年]](平成6年)には貯水池の[[水質汚濁]]防止が目的に追加された。施行後1974年7月20日に[[手取川ダム]]([[手取川]])などが指定されたのを皮切りに[[2015年]](平成27年)時点で96ダムと[[霞ヶ浦]]が指定されている<ref>『日本の多目的ダム直轄編 1990年版』pp.49-52</ref><ref>『湖水を拓く』pp.128-130</ref><ref>[http://damnet.or.jp/Dambinran/binran/Tokubetu/Suitoku.html 『ダム便覧』水源地域対策特別措置法関係]2015年8月10日閲覧</ref>。また同年には[[電源三法]]([[電源開発促進税法]]・[[発電用施設周辺地域整備法]]・電源開発促進対策特別会計法)が施行された。主に[[原子力発電所]]の立地促進が目的であるが、発電用施設周辺地域整備法に関しては福島県の[[大川ダム]]([[阿賀野川]])など水力発電目的を有するダム事業においても補助が行われている<ref>『湖水を拓く』p.131</ref><ref>[http://www.fepc.or.jp/nuclear/chiiki/nuclear/seido/ 電気事業連合会『電源三法交付金制度』]2015年8月10日閲覧</ref>。
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File:Hachinosujyo.JPG|日本最大のダム反対運動・[[蜂の巣城紛争]]の舞台となった蜂の巣城跡([[熊本県]])。右手に[[下筌ダム]](津江川)がある。
File:Numata Dam site.jpg|移転世帯数2,200世帯という規模のため激しい反対運動が起こった[[沼田ダム計画]]([[利根川]])予定地跡。[[1972年]](昭和47年)中止。
File:Shokawa zakura.jpg|[[御母衣ダム]]の水没から免れた[[荘川桜]]([[岐阜県]])。
File:Tedorigawa Dam.jpg|[[水源地域対策特別措置法]]に指定されたダムの一つ、[[手取川ダム]]([[手取川]])。
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既存のダム機能を増強させる目的で施工される'''[[ダム再開発事業]]'''も次第に増加していった。主に貯水池の掘削や[[ダム#諸元|有効貯水容量]]の配分変更、[[放流 (ダム)|放流]]施設機能強化による治水・利水機能の強化と、ダム自体のかさ上げまたは既存ダム直下流に新たなダムを建設して貯水容量自体を増やし治水・利水機能を強化する二つの方法が採られている。前者としては[[昭和47年7月豪雨]]による被害や[[岡山市]]の水道需要増大を受けて[[1983年]](昭和58年)に再開発された岡山県の[[旭川ダム]]([[旭川 (岡山県)|旭川]])<ref>『日本の多目的ダム補助編 1990年版』pp.414-415</ref>や、283日にも及んだ[[1978年]](昭和53年)の[[昭和53-54年福岡市渇水|福岡市大渇水]]を機に貯水池掘削による容量増加を[[1985年]](昭和60年)に実施した[[福岡県]]の南畑ダム([[那珂川 (九州)|那珂川]])<ref>『日本の多目的ダム補助編 1990年版』pp.538-539</ref>、施工中のダムとしてバイパストンネルによる放流機能増強を図る京都府の[[天ヶ瀬ダム]]([[淀川]])や愛媛県の鹿野川ダム([[肱川]])などがある<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=3025 『ダム便覧』天ヶ瀬ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=3600 『ダム便覧』鹿野川ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>。後者としてはダムかさ上げ例として水道専用ダムを21.9メートルかさ上げして[[1984年]](昭和59年)に多目的ダム化した北海道の[[新中野ダム]]([[亀田川]])<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0113 『ダム便覧』新中野ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>や既設ダムを[[1979年]](昭和54年)に16.5メートルかさ上げした[[川上ダム (山口県)|川上ダム]](富田川)<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2085 『ダム便覧』川上ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>があり、施工中のものとして北海道の[[桂沢ダム]](幾春別川)を11.9メートルかさ上げする[[桂沢ダム#新桂沢ダム|新桂沢ダム]]<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2928 『ダム便覧』新桂沢ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>、岐阜県の[[丸山ダム]]([[木曽川]])を20.2メートルかさ上げして治水機能を強化する[[丸山ダム#新丸山ダム|新丸山ダム]]がある<ref>[http://www.cbr.mlit.go.jp/shinmaru/201_damunogaiyou/main.html 国土交通省中部地方整備局新丸山ダム工事事務所『ダムの概要』]2015年8月11日閲覧</ref>。また既設ダム直下流に新たなダムを建設する再開発事業として北海道の[[大夕張ダム#夕張シューパロダム|夕張シューパロダム]]([[夕張川]])<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=3101 『ダム便覧』夕張シューパロダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>、[[青森県]]の[[浅瀬石川ダム]](浅瀬石川)と[[津軽ダム]]([[岩木川]])<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0207 『ダム便覧』浅瀬石川ダム]2015年8月11日閲覧</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=2996 『ダム便覧』津軽ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>、岩手県の[[胆沢ダム]](胆沢川)<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0277 『ダム便覧』胆沢ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref>、[[山形県]]の[[長井ダム]]([[置賜野川]])<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0448 『ダム便覧』長井ダム]2015年8月11日閲覧</ref>、[[島根県]]の八戸ダム(八戸川)<ref>『日本の多目的ダム補助編 1990年版』pp.400-401</ref>などがある。なお事業の完成により日本初の多目的ダム施工例だった[[沖浦ダム]]は浅瀬石川ダムに、日本初の[[ロックフィルダム]]施工例だった石淵ダムは胆沢ダムに、[[大夕張ダム]]は夕張シューパロダムに、[[管野ダム]]は長井ダムの湖底にそれぞれ水没。[[目屋ダム]](岩木川)や桂沢・丸山ダムも再開発の完成により水没する運命である。
 
ダム技術については工事の機械化・省力化による事業費圧縮を目的として様々な研究が進められ、その結果'''RCD工法'''と'''[[台形CSGダム]]'''という世界初のダム技術が日本で誕生した。RCD工法のRCDとは Roller Compacted Dam-Concrete の略であり、[[セメント]]の量を極力少なくした貧配合の超硬練り[[コンクリート]]を[[ブルドーザー]]で撒き出して振動[[ロードローラー]]で締め固める工法であり、ロックフィルダムの工法をコンクリートダムに援用したものである。1973年に[[アメリカ陸軍工兵司令部]]が試験的な施工を行っていたが、日本では建設省が大川ダムの上流仮締切ダムにおける試験的な施工を経て1978年に[[山口県]]の[[島地川ダム]](島地川)において本体工事に世界で初めて採用した。以後大規模コンクリートダムの標準的な施工法となり、[[佐賀県]]の[[嘉瀬川ダム]]([[嘉瀬川]])や[[栃木県]]の[[湯西川ダム]]([[湯西川]])などではより高速のコンクリート打設が可能となった巡航RCD工法が導入されている<ref>『日本の多目的ダム直轄編 1990年版』pp.112-115</ref><ref>[http://www.kajima.co.jp/tech/c_dam/construct/index.html 鹿島建設『巡航RCD工法』]2015年8月11日閲覧</ref>。一方台形CSGダムは日本で開発された新しい[[ダム#型式|型式]]で、CSGとは Cemented Sand and Gravel の略である。ロックフィルダムで実証されている[[台形]]ダムの安定性を応用した設計の合理化と、コンクリート原材料の品質を厳選せず利用できる材料の合理化、およびRCD工法と同様の手法で施工ができる施工の合理化を兼備したダム型式であり、事業費の圧縮や材料取得のための原石山掘削といった環境への負荷を軽減できる利点がある。[[沖縄県]]の金武ダム(億首川)が施工第一号として[[2002年]](平成14年)より開始され、[[2012年]](平成24年)北海道の[[当別ダム]](当別川)が世界で初めて同型式として完成した<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=3147 『ダム便覧』金武ダム(再)]2015年8月11日閲覧</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0171 『ダム便覧』当別ダム]2015年8月11日閲覧</ref><ref>[http://www.jdec.or.jp/02project_outline/02_research_and_development/05CSG.html ダム技術センター『台形CSGダムの設計及び施工に関する研究』]2015年8月11日閲覧</ref>。日本では当別・金武ダムのほか幾つかのダムで本型式が導入予定だがである<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/TableAllItiran.cgi?zi=iti&kei=CSG&jy=kana 『ダム便覧』一覧表(台形CSGダム)]2015年8月11日閲覧</ref>、洪水処理など実運用における技術的課題が残されている
 
また、ダムの放流に欠かせない洪水吐きの[[ゲート]]設置にも変化がみられた。大正時代に建設された発電用ダムを中心に戦前完成したダムの多くは多数のゲートが横一列に並ぶタイプが多かったが、戦後アメリカ合衆国海外技術顧問団の勧告や水門技術の発達などにより比較的少数の大型ゲートによる調節が主流となった<ref>『日本の多目的ダム 1963年版』pp.144-145</ref>。しかし[[1973年]](昭和48年)[[鳥取県]]が施工・完成させた補助治水ダム・百谷ダム(天神川)は洪水吐きにゲートを備えない日本初の'''[[治水ダム#概説|ゲートレスダム(坊主ダム)]]'''方式を導入した。ゲートレスダムは豪雨時にダムまで洪水が到達する時間が短く人為的な洪水調節操作が難しい[[流域面積]]の狭い河川で主に採用されるが、日本のダム建設においては百谷ダム以降規模の大小を問わずゲートレスダムの建設が主流となっている<ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1683 『ダム便覧』百谷ダム]2015年8月30日閲覧</ref>。さらに治水ダムの中には平常時には全く貯水を行わず洪水時にのみ貯水する洪水調節目的特化型の[[治水ダム#穴あきダム|流水型ダム(穴あきダム)]]が建設されるようになった。1956年3月に[[茨城県]]で完成した[[藤井川ダム]](藤井川)が県営事業としては最初の例<ref group="注">1977年にダム再開発事業が実施され、貯水を行う多目的ダムとなる。</ref>になるが、[[2005年]](平成17年)に完成した[[島根県]]の[[益田川ダム]]([[益田川]])以降、穴あきダム方式の治水ダムが日本各地で新たに計画されている<ref name="chisui"/><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=1754 『ダム便覧』益田川ダム]2015年8月11日閲覧</ref><ref>[http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/TableAllItiran.cgi?zi=iti&m1=F&jy=kana 『ダム便覧』一覧表目的別(洪水調節専用)]2015年8月11日閲覧</ref>。