「開聞岳」の版間の差分

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7世紀末頃の噴火による噴出物の堆積層は青コラ、9世紀末頃のそれは紫コラと呼ばれており、薩摩半島南部で広く見られる地層である。噴火の年代が分かっているので、発掘対象の遺跡の遺物がこれらの地層の上下どちらから出てくるかで、この時代の生活の変化などを知る重要な手がかりとなっている。7世紀末の噴火では被害を受けつつも、古墳時代の様式を残した生活が続いていたが、9世紀末の噴火では大きな被害を受けて集落が放棄されるなど大きな生活の変化が起きていることが判明している。[[橋牟礼川遺跡]]は9世紀末の噴火によって放棄された代表的な集落である。
 
なお、[[太平洋戦争]]において、旧[[知覧町]]の陸軍飛行場(現:[[知覧特攻平和会館]]<!-- は跡地の一部 -->)から出撃した[[特別攻撃隊]]機は、まず開聞岳へと進路をとり、富士山にも似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ南方へと向かったという。また、開聞岳の山麓西側の[[花瀬 (指宿市)|花瀬]]にはやはり太平洋戦争において、フィリピンで戦死した人々を慰霊する[[望比公園]]がある。
 
[[2000年]]([[平成]]12年)[[12月12日]]から下旬にかけて、噴気が観測された。
* '''[[枚聞神社]]''' - 山麓にある枚聞神社(ひらききじんじゃ)は薩摩国の一宮であり、開聞岳を[[神体]]としている。このため神社参道と社殿を結ぶ線の延長上に開聞岳があり、その山頂には奥宮御岳神社がある。
* '''[[池田湖]]''' - 山頂から約5km北東には、[[カルデラ湖]]の池田湖がある。
* '''望比公園''' - 開聞岳の山麓西側の[[花瀬 (指宿市)|花瀬]]にはやはり太平洋戦争にいてフィリピンで戦死した人々を慰霊する望比公園がある。[[太平洋戦争]]において、旧[[知覧町]]の陸軍飛行場(現:[[知覧特攻平和会館]]<!-- は跡地の一部 -->)から出撃した[[特別攻撃隊]]機は、まず開聞岳へと進路をとり、富士山にも似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ南方へと向かったという。また、開聞岳の山麓西側の[[花瀬 (指宿市)|花瀬]]にはやはり太平洋戦争において、フィリピンで戦死した人々を慰霊する[[望比公園]]がある
== 脚注 ==
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