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{{Otheruses||千葉県木更津市にある稲荷森古墳(とうかもりこふん/とうかんもりこふん)|祇園・長須賀古墳群}}
'''稲荷森古墳'''(いなりもりこふん)は、[[山形県]][[南陽市]]長岡にある[[古墳時代]]前期後半から中期前半に築造されたと推定される[[前方後円墳]]。
{{日本の古墳
|名称 = 稲荷森古墳
|画像 = [[File:Inari-mori Kofun zenkei-1.JPG|280px]]<br />墳丘全景<br />{{small|(左手前に前方部、右奥に後円部)}}
|所属 =
|所在地 = [[山形県]][[南陽市]]長岡字稲荷森
|位置 = {{ウィキ座標2段度分秒|38|2|22.76|N|140|9|26.06|E|region:JP-06_type:landmark|display=inline,title|name=稲荷森古墳}}
|形状 = [[前方後円墳]]
|規模 = 墳丘長96m<br />高さ9.6m(後円部)
|埋葬施設 = (推定)[[木棺]]直葬
|築造年代 = [[4世紀]]末頃
|被葬者 =
|出土品 = [[土師器]]
|史跡指定 = 国の[[史跡]]「稲荷森古墳」
|特記事項 = [[東北地方]]第6位/山形県第1位の規模
}}
{{Location map|Japan Yamagata|lat_deg=38|lat_min=2|lat_sec=22.76|lon_deg=140|lon_min=9|lon_sec=26.06|label=稲荷森古墳|position=top|width=160|mark=Red pog.svg|marksize=10|caption={{Center|稲荷森古墳の位置}}}}
'''稲荷森古墳'''(いなりもりこふん)は、[[山形県]][[南陽市]]長岡にある[[前方後円墳]]。国の[[史跡]]に指定されている。
 
山形県では最大、ひいては[[東北地方]]でも第6位の規模の古墳で<ref group="注" name="規模">東北地方における主な古墳は次の通り。
==概要==
# [[雷神山古墳]]([[宮城県]][[名取市]]) - 墳丘長168メートル。
規模は、全長96メートル、後円部直径62メートル、後方部高さ10メートル、前方部長さ34メートル、前方部の幅32メートル、前方部高さ約5メートルで山形県では最大規模を有し、東北では5番目の大きさの[[前方後円墳]]である([[2008年]]5月現在)。周壕はめぐらしていない。もともと存在した自然丘を削り出して造られており、後円部が3段築成、前方部が2段築成である。後円部に比べて前方部がやや短い。後円部頂上は平坦で、稲荷の祠(ほこら)がある。
# [[亀ヶ森古墳]]([[福島県]][[河沼郡]][[会津坂下町]]) - 墳丘長127.3メートル。
# 玉山古墳(福島県[[いわき市]]) - 墳丘長110メートルから120メートル程度。
# [[会津大塚山古墳]](福島県[[会津若松市]]) - 墳丘長114メートル。
# [[遠見塚古墳]](宮城県[[仙台市]]) - 墳丘長110メートル。
ただし、南陽市長岡にあったとされる長岡南森古墳が墳丘長約165メートルの前方後円墳であったとする説もある(『やまがたの古墳時代 -最上川流域のムラと古墳-』 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館、2011年、p. 30)。</ref>、[[4世紀]]末([[古墳時代]]前期)の築造と推定される。
 
== 概要 ==
造られた時期は、出土[[遺物]]と築造方法などから推定すると、[[4世紀]]後半から[[5世紀]]初頭と考えられる。
山形県南部、[[米沢盆地]]北縁で[[吉野川 (山形県)|吉野川]]右岸の長岡丘陵上において、孤立丘の丘尾を切断して築造された大型前方後円墳である{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。大型古墳としては日本海側で最北に位置する{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}<ref group="注">前方後円墳(大型古墳に限らない)の日本海側最北は[[坊主窪古墳群]](山形県[[東村山郡]][[山辺町]]大寺)の坊主窪1号墳になる。</ref>。これまでに数次の調査が実施されている。
これまで置賜地方に古墳が造られたのは古墳時代後期と考えられていたが、本古墳の発掘調査で4世紀代に溯ることが分かり、その後も、米沢市戸塚山古墳、川西町天神森古墳などが発見されている<ref>佐藤庄一「稲荷森古墳」 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版 1991年 36ページ</ref>。
 
墳形は前方後円形で、前方部を南南西方に向ける<ref name="国指定"/>。墳丘は後円部が3段築成、前方部が1段築成で{{Sfn|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}、旧状を良好に遺存する。墳丘長は約96メートルを測り、山形県では最大、[[東北地方]]でも第6位の規模になる<ref group="注" name="規模"/>。墳丘表面で[[葺石]]・[[埴輪]]は検出されていないが、墳丘内部から[[土師器]]が出土している{{Sfn|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}。また周濠も存在していないが、墳丘の周囲一定範囲にテラス帯が認められている{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。主体部となる埋葬施設は未確認で明らかでないが、一説には石室を持たない[[木棺]]直葬と推測される<ref name="説明板"/>。
[[1980年]]([[昭和]]55年)には、国の[[史跡]]に指定された(指定地面積、10,182.7平方メートル)<ref>{{国指定文化財等データベース|401|311|稲荷森古墳}}</ref>。その後の[[1987年]](昭和62年)と[[1988年]](昭和63年)の[[発掘調査]]では、被葬者の埋葬施設には[[石室]]が存在しないことがわかり、このことから[[木棺]]を墳丘内に直接埋葬したもの(木棺直葬)と考えられている。また、高坏形[[土師器]]と、底部穿孔土師器という珍しい[[土器]]も出土したが、[[埴輪]]や[[葺石]]等は確認されていない。
 
この稲荷森古墳では、年代観を正確にする埴輪等の資料が出土していないものの、墳形および出土土師器を基に[[4世紀]]末頃([[古墳時代]]前期)の築造と推定されている{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。本古墳の築造以前には[[米沢市]]域・[[川西町 (山形県)|川西町]]域・南陽市域の3地域で[[前方後方墳]]を主とする古墳([[天神森古墳]]・宝領塚古墳など)が営まれていたが、稲荷森古墳によってそれら3地域が統合された様相を成すため、稲荷森古墳はその首長(置賜地方の王)により記念碑(象徴)的に築造されたものと考えられている{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。しかし稲荷森古墳に続く首長墓はなく、中心地は米沢市域に移ったとされる{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。そのほか、稲荷森古墳と大塚山古墳([[宮城県]][[名取市]])・念南寺古墳(宮城県[[色麻町]])・[[堂の森古墳]]([[福島県]][[浪江町]])などとの墳形の類似性を指摘する説や、稲荷森古墳の被葬者が[[東北地方]]最大の[[雷神山古墳]](宮城県名取市)の被葬者と同盟関係にあったとする説もある{{Sfn|山形県の歴史|1998年|pp=28-29}}。
[[宮城県]][[名取市]]の大塚山古墳や同県[[色麻町]]の念南寺古墳、[[福島県]][[浪江町]]の[[堂の森古墳]]などと計測上同一タイプの古墳であり、これらの古墳との関連性がみてとれる。また、宮城県名取市に所在する[[東北地方]]最大の前方後円墳である[[雷神山古墳]]を築造した豪族との同盟関係によって造られたものと考えられる<ref>誉田慶喜「山形の夜明け」28-29ページ(横山昭男・誉田慶信・伊藤清郎・渡辺信『山形県の歴史』山川出版社 2003年2月)</ref>。
 
古墳域は[[1980年]]([[昭和]]55年)に国の[[史跡]]に指定された<ref name="国指定"/>。その後現在までに、墳丘を基本的に維持したままで史跡整備がなされている{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
現在は史跡公園として整備されているが、整備される以前は森林が無秩序に生い茂っており、荒れ放題であった。
ただ、近隣の子供達からは「キツネ山」の愛称で呼ばれ、クワガタ虫の取れる山として有名であった。
 
=== 近世以降の変遷 ===
==主な出土遺物==
* [[1938年]]([[昭和]]13年)、古墳とする説が初めて提唱{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
*高坏形土師器(たかつきがたはじき)
* [[1961年]](昭和36年)、トレンチ調査(山形大学)。[[平安時代]]の[[須恵器]]のみの出土で、古墳とする確証はなし{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
*底部穿孔土師器(ていぶせんこうはじき)
* [[1977年]](昭和52年)、測量調査(山形県史編纂室・稲荷森古墳調査団)。前方後円墳と判明{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
* [[1978年|1978]]-[[1979年]](昭和53-54年)、発掘調査([[山形県立博物館]])。墳丘構造・築造法の判明{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
* [[1980年]](昭和55年)5月24日、国の[[史跡]]に指定<ref name="国指定"/>。
* [[1985年]](昭和60年)、精密測量図の作成(南陽市教育委員会){{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
* [[1987年|1987]]-[[1988年]]度(昭和62-63年度)、発掘調査(南陽市教育委員会){{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
* [[1989年]]度([[平成]]元年度)、史跡整備(南陽市教育委員会){{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
 
== 規模・構造 ==
==所在地==
古墳の規模は次の通り{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
〒999-2222<BR>
* 墳丘長:約96メートル
山形県南陽市長岡1175 ([[南陽市立赤湯小学校]]の裏手に所在する。)
* 後円部 - 3段築成。
** 直径:約62メートル
** 高さ:約9.6メートル
* 前方部 - 1段築成。
** 長さ:約34メートル
** 前端幅:約30メートル
** 高さ:約5メートル
 
墳丘は、後円部に比べて前方部が低く短い「銚子式(銚子形)」という古相を示す{{Sfn|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}。前方部は米沢盆地中央の方角を向く{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。後円部の3段のうち、1段目はかなり高くほぼ地山から成り、2段目・3段目は版築から成る{{Sfn|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}。
 
墳形に関しては、前方部が変形していることを基に、前方部の半分が意図的に築造されなかったという「前方部半載型」説が提唱されている{{Sfn|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。この説では、同時期の築造で東北地方最大規模の[[雷神山古墳]]([[宮城県]][[名取市]])の被葬者による古墳規制を受けたとする{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。しかし半載型とするには批判的な説もあり、検証の必要が指摘される{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
<gallery>
File:Inari-mori Kofun zenkei-2.JPG|横からの全景<br />{{small|左に前方部、右に後円部。}}
File:Inari-mori Kofun kouen-bu.JPG|後円部<br />{{small|2・3段目に比べ1段目は高く築造される。}}
File:Inari-mori Kofun funchou.JPG|後円部墳頂<br />{{small|中央は方位盤。}}
File:Inari-mori Kofun zenpou-bu.JPG|後円部から前方部を望む
</gallery>
 
== 出土品 ==
発掘調査による主な出土品は次の通り。
* 高坏形[[土師器]]
*: 稲荷森古墳の築造以前に後円部直下で営まれていた[[竪穴式住居]]跡で使用された土器{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。塩釜式で古形式の土師器であり4世紀前半から中頃と推定され、それ以後に稲荷森古墳が築造されたことを示す{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
* 底部穿孔土師器壺形土器
*: 地山削出部から検出されており築造当時の土器になるが、置賜地方で広く使用された土器形式でなく移入伝世品と見られるため、築造年代を明らかとする土器にはならない{{Sfn|佐藤鎮雄|2004年}}。
 
そのほか、古墳域は[[平安時代]]から[[中世]]期にかけて墓地化したものと見られ、域内からは墓地化を示す後世の墓壙や石塔片が認められている{{Sfn|稲荷森古墳(角川)|1981年}}。なお[[埴輪]]は検出されていないため、埴輪に基づく年代観はない。
 
== 文化財 ==
=== 国の史跡 ===
* 稲荷森古墳 - 指定範囲面積は10,182.7平方メートル<ref name="説明板">史跡説明板。</ref>。昭和55年5月24日指定<ref name="国指定">{{国指定文化財等データベース|401|311|稲荷森古墳}}</ref>。
 
== 交通アクセス ==
* 鉄道:[[奥羽東日旅客鉄道]](JR東日本)・[[山形鉄道]] [[赤湯駅]]より車で (徒歩520。駐車場あり。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
'''注釈'''
{{Reflist}}
{{reflist|group="注"}}
 
=='''出典・参考文献=='''
{{reflist}}
* 稲荷森古墳史跡公園内案内板
* 文化庁文化財保護部史跡研究会監修『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版 1991年 ISBN 4-8104-0925-2
 
== 関連項目参考文献 ==
* 史跡説明板(南陽市教育委員会、1993年設置)
* [[北海道・東北の史跡一覧]]
* 百科事典
* [[日本の古墳一覧]]
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1981|chapter=稲荷森古墳|title=[[角川日本地名大辞典]] 6 山形県|publisher=[[角川書店]]|isbn=978-4040010601|ref={{Harvid|稲荷森古墳(角川)|1981年}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=<!--吉野氏-->|year=1989|chapter=稲荷森古墳|title=[[日本古墳大辞典]]|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=978-4490102604|ref={{Harvid|稲荷森古墳(古墳)|1989年}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1990|chapter=稲荷森古墳|title=[[日本歴史地名大系]] 6 山形県の地名|publisher=[[平凡社]]|isbn=978-4582490060|ref={{Harvid|稲荷森古墳(平凡社)|1990年}}}}
** {{Wikicite|reference=[https://kotobank.jp/word/%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E6%A3%AE%E5%8F%A4%E5%A2%B3-1270432 「稲荷森古墳」]『国指定史跡完全ガイド』 講談社(リンクは朝日新聞社「コトバンク」)|ref={{Harvid|国指定史跡完全ガイド}}}}。
* その他書籍
** 『図説日本の史跡 第2巻 原始2』 文化庁文化財保護部史跡研究会監修、同朋舎出版、1991年。ISBN 4810409252。
** {{Cite book|和書|editor=|author=|year=1998|chapter=|title=山形県の歴史(県史6)|publisher=[[山川出版社]]|isbn=4634320606|ref={{Harvid|山形県の歴史|1998年}}}}
** {{Cite book|和書|editor=|author=佐藤鎮雄|year=2004|chapter=稲荷森古墳|title=出羽の古墳時代(奥羽史研究叢書8)|publisher=高志書院|isbn=978-4906641888|ref={{Harvid|佐藤鎮雄|2004年}}}}
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Inari-mori Kofun}}
* [http://www.yamagata-museum.jp/ 山形県立博物館]
* {{国指定文化財等データベース|401|311|稲荷森古墳}}
* [http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/museum/ 山形大学付属博物館]
* [http://www.pref.yamagata.jp/cgi-bin/yamagata-takara/?m=detail&id=1127 稲荷森古墳] - 山形県教育庁文化財・生涯学習課「山形の宝 検索navi」
* [http://www.gazore.jp/ncs/nanyo-cl/cultural/index.php/detail?no=1 稲荷森古墳] - 南陽市文化財検索
 
{{coord|38|2|22.7|N|140|9|26.5|E|region:JP-06|display=title}}
{{Japanese-history-stub}}
{{DEFAULTSORT:いなりもりこふん}}
[[Category:山形県の古墳]]
[[Category:山形県にある国指定の史跡]]
[[Category:南陽市の歴史]]
[[Category:山形県にある国指定の史跡]]
[[Category:前方後円墳]]
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