「川柳川柳」の版間の差分

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かつてこの演目は『歌で綴る太平洋戦史』『昭和歌謡史』『歌は世につれ』などと表記されていた。ガーコンと呼ばれるようになったのは、[[1994年]]10月8日に[[木馬亭]]で行われた落語会『川柳川柳祭』がきっかけである。この落語会は、川柳の得意演目(新作および古典)を他の落語家が演じるという企画で、本作品を担当した[[古今亭右朝]]がプログラムにはじめてガーコンと表記した。やがて川柳本人もガーコンという表記を使うようになった。
 
脱穀機のくだりで、登場人物の母親が父親に声援を送ると『大ガーコン』という演題に変わる<ref>東京かわら版2008/11、本人の証言。</ref>。ガーコンの長講が大ガーコンとなるわけではなく、上演時間は関係ない。全盛期にはこのネタを年に100回以上演じたことがあった。そのため寄席のネタ数ランキングでは[[時そば]]、[[寿限無]]、[[金明竹]]、[[子ほめ]]などの前座からベテランまで分け隔てなく演じられる定番ネタと、川柳一人のみが演じるガーコンとが張り合うという異様な事態が起きていた。
 
*『ジャズ息子』