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婉容(嬪)王氏<ref>名は王月宮。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで金で健在であった。</ref>の娘として生まれた。'''恵福帝姫'''の位を授けられた。
 
[[靖康の変]]の際、徽宗や[[欽宗]]らと共に[[金 (王朝)|金]]軍に拉致された。連行の前、[[完顔宗望]](珠珠の異母姉・[[趙福金]]の後夫)は個人的に酒宴を設け、徽宗はこれに応じた。宗望は酒宴のついでに完顔斜保([[完顔宗翰]]の次男)仲人して、珠珠を所望した。徽宗は承知し、珠珠は斜保の次婦(妾妻)となった。
 
金に到着後、宗望、設野馬(珠珠の異母姉・[[趙富金]]の後夫)、斜保は徽宗を私的に訪問し、駙馬(婿)の礼をとった。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで珠珠は金で健在であった。