「斉藤和夫」の版間の差分

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その後は浦和のフロントとなり2000年、J2に降格した浦和の監督に就任。ぶっちぎりでのJ1復帰を期待されたが、開幕ダッシュにこそ成功したもののその後は思うように勝てず、特に昇格のライバルの[[コンサドーレ札幌]]には4度の対戦で1分3敗と1度も勝てなかった。それでも辛うじて昇格圏内の2位は確保していたが、10月1日、[[ホーム・アンド・アウェー|アウェー]]での[[アルビレックス新潟]]戦に2-4で敗れ、3位の[[大分トリニータ]]に迫られると[[横山謙三]]が総監督に就任することとなり監督の肩書はそのままに指揮権を返上した(実質的にはコーチ降格)。結果として、浦和は1年でのJ1復帰に成功したが、斉藤への評価は低いものとなった。
 
2000年シーズン終了後、斉藤は浦和を退団。その後、市原(現・千葉)に再び招かれ、[[ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ|同クラブのアマチュアチーム]]の監督に就任し、[[千葉県]]リーグ1部優勝と関東リーグ昇格に導いた。2005年には[[三菱養和|三菱養和クラブ]]の監督となり、ユース(高校生)年代の選手育成に努めている。斉藤の指導下で三菱養和クラブは2009年の[[高円宮杯第20回全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会]]で3位に入り(準決勝進出)、Jリーグクラブの下部組織ではない、いわゆる「街クラブ」としては[[高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 (U-18)大会|同大会]]での最高成績へと導いた。
 
2010年からはJ2に降格した千葉のヘッドコーチに就任した<ref>[http://www.so-net.ne.jp/JEFUNITED/tools/cgi-bin/view_news.cgi?action=view&nid=7391 斉藤和夫ヘッドコーチの就任について](2009年12月9日ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルHPより)</ref>が、1年でのJ1昇格に失敗し、2011年からは同クラブのスカウトを務めている。2014年6月、[[鈴木淳 (1961年生のサッカー選手)|鈴木淳]]監督の解任に伴い[[関塚隆]]が新監督に就任するまで監督代行を務めた<ref>{{Cite press release |title=鈴木淳監督の契約解除について|url=http://jefunited.co.jp/news/2014/06/top/1403513400420.html|publisher=[[ジェフユナイテッド市原・千葉]]|date=2014-06-23}}</ref>。