「萩野浩基」の版間の差分

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しかし、[[2005年]](平成17年)[[9月11日]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では、比例代表での単独立候補は2回までとする自民党の規定に抵触し、特例での立候補を党本部に求めるも公認は降りず、結局立候補を断念した。同年の[[宮城県]][[知事]]選で自民党推薦候補に推す声もあったが、萩野自身が辞退した。
 
=== 政界引退後 ===
2015年10月18日に食道がんのため死去。75歳没。
政界引退後、大学の学長業に専念していたが[[食道癌]]が判明して摘出手術を受けていた。
 
その後も、[[医学部]]設置方針や仙台駅東口キャンパスの居抜設置など、大学運営に力を入れていた矢先、手術から暫くたった[[2015年]][[6月]]頃から容態が急変して入退院を繰り返すようになっていたが、[[2015年]][[10月18日]][[示寂]]。[[世壽]]76(満75歳没)。<!-- 曹洞宗の僧侶であり、住職を務めていた事もあるため、「示寂」と表記する。 -->
 
== 脚注 ==