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ところが、隊形を崩した[[散兵]]戦術が有利とされると、中隊全員が一箇所にまとまって戦闘に入る機会は減った。日本では既に[[日露戦争]]で小隊を射撃の指揮単位にしたが、戦後は小隊長の経験・能力不足を理由に中隊に引き上げた。しかし結局さらに徹底して細分せざるをえず、射撃の単位は数人レベルまで下りることになった<ref>石原莞爾『戦争史大観』、中公文庫版248-252頁</ref>。
 
小戦闘が増えた[[日中戦争]]では、小隊長にも複雑な戦術判断が求められるようになった。そのため実戦経験が浅に乏し若年の小隊長が勤務期間や召集期間の長い下士官や古参兵に侮られる場面が出てくるようになった。この種の問題と解決方法は各国とも同じで、小隊の最上位の下士官を小隊軍曹などとして小隊長の補佐に付け、実務上の指導的な役割を任せている。
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