「秋月文種」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
16行目:
| 兄弟 =
| 妻 = [[原田義種]]妹
| 子 = [[秋月晴種|晴種]]、'''[[秋月種実|種実]]'''、[[高橋種冬]]([[高橋鑑種]]養子)、<br />[[長野助盛|長野種信]](子に[[長野永盛|永盛]]、[[田原親貫]])、[[秋月元種|元種]]、<br>[[原田親種]]室
| 特記事項 =
}}
31行目:
弘治3年(1557年)、大内氏が滅んで[[毛利氏]]の勢力が北九州にまで及んでくると、文種は[[毛利元就]]の調略に応じて大友氏に反旗を翻した。このため7月、宗麟は[[立花道雪]]と[[臼杵鑑速]]に2万の兵を預けて、文種討伐を命じる。文種は古処山城で徹底抗戦したが、衆寡敵せず、嫡男の晴種とともに城中にて自刃した。しかし残りの子供達は家臣らに守られ、[[毛利氏]]の元に逃れるなどした。文種の死により、秋月氏は一時滅亡し、ほとんどの所領を失うこととなった。残った所領は家臣の深江氏が死守している。
 
== 外部リンク ==
* [http://www2.harimaya.com/sengoku/html/akizuki.html 武家家伝_秋月氏]
 
{{秋月氏歴代当主|第15代|1531年 - 1557年}}