「プジョー・505」の版間の差分

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[[1979年]]、それまでの主力中型車、[[プジョー・504|504]]の後継車として登場。デザインはプジョーと親しい関係にあった[[イタリア]]の[[ピニンファリーナ]]が担当し、吊り目のヘッドライトに特徴付けられた端正で優美なもので、4ドア[[セダン]]と5ドア[[ステーションワゴン|ワゴン]]のボディが存在した。フランスなどではワゴンモデルを改造した[[救急車]]も存在した。
 
メカニズムでは、[[サスペンション]]に前輪にマクファーソン・ストラット、後輪にセミトレーリングアームの4輪独立懸架を採用、エンジンは排気量1,800cc([[OHV]])と2,000cc([[OHC]]で[[ルノー]]、[[ボルボ]]との共同開発の[[PRVエンジン]]。この505では燃料噴射を搭載)の[[直列4気筒]]ガソリンエンジン、2,300ccの[[ディーゼルエンジン]]が当初搭載された。駆動方式は[[後輪駆動#フロントエンジン・リアドライブ方式|FR]](前エンジン、後輪駆動)である。後に2,200cc仕様(2,000ccから代替)やその[[ターボチャージャー|ターボ]]仕様、ターボディーゼル仕様、さらに[[1986年]]のマイナーチェンジで最上級モデルの[[プジョー・604|604]]から引き継いだ[[V型6気筒]]2,700ccと、様々なエンジンが搭載された。生産中止となったのは実質的な後継車、[[プジョー・605|605]]の登場直後、[[1991年]]。しかし[[アルゼンチン]]等ではその後もしばらく生産が続行された。また、[[中華人民共和国|中国]]南部、[[広東省]][[広州市]]での合弁企業「広州標致 (プジョー)汽車」でも生産された(後に経営難で事業を[[本田技研工業|ホンダ]]に譲渡し、[[ホンダ・アコード|アコード]]や[[ホンダ・オデッセイ|オデッセイ]]などを生産)。
 
== 日本での販売 ==