「阿比留草文字」の版間の差分
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'''阿比留草文字'''(あひるくさもじ)は、
== 概要 ==
阿比留草文字は各地の神社において[[神体|神璽]]や守符に用いられている。[[阿伎留神社]]には神符の発行に用いられた阿比留草文字の版木が残されている。また[[伊勢神宮]]には神代文字によって記された多数の奉納文があり、その中で最も多く用いられている文字は阿比留草文字である。▼
[[日本語]]の[[五十音]]に基本的に対応しているが、[[歴史的仮名遣い]]である為に[[濁音]]や[[半濁音]]を表す文字はなく、「ん」に相当する文字も存在しない。
阿比留家の文書に[[阿比留文字]]や[[対馬文字]]と共に書かれている事から、[[阿比留文字]]の[[草書体]]とする説が[[国学]]者の[[平田篤胤]]などによって唱えられたが、今日の研究では起源の異なる文字であると考えられている。▼
[[日本語学|日本語学者]]の北里闌(きたざとたけし
▲阿比留家の文書に[[阿比留文字]]や[[対馬文字]]と共に書かれている事から、[[阿比留文字]]の[[草書体]]とする説が[[国学]]者の[[平田篤胤]]などによって唱えられたが、今日の研究では起源の異なる文字であると考えられている。
▲[[日本語学|日本語学者]]の北里闌(きたざとたけし。因みに[[北里柴三郎]]の親戚である)は、似た形と発音を持った文字があるとして阿比留草文字と[[バイバイン (文字)|フィリピン文字]]との関連を指摘しており、同系統の文字ではないかと主張している。
▲{{要出典範囲|date=2015年2月|阿比留文字が古代の[[球磨川]]辺りに住んでいた人々(肥人)の使った文字として「肥人書」(くまびとのて)と呼ばれるのに対して、阿比留草文字は[[薩摩]]人(隼人)の文字という意味で「薩人書」(はやひとのて)と呼ばれる。}}
== 史料 ==
いわゆる神代文字の中でも、特に[[神道]]界に強い影響を与えた文字の一つである。
神代文字研究家の[[吾郷清彦]]は「[[釈日本紀]]」に「此書(文字)今図書寮ニアリ。其ノ字体頗ル[[梵字]]二似タリ」という記述がある事から、この文字が阿比留草文字ではないかとしている。
[[清原宣賢]]([[吉田兼倶]]の子)は『日本書紀抄』(1527年)において「其字形、[[声明]](シャウミャウ)ノハカセ(墨譜と書く。声明の楽譜の事)ニ似タリ」と、神代文字の形を具体的に述べてい
諦忍が[[1776年]]([[安永]]5年)に著した『神国神字弁論』では、[[鶴岡八幡宮]]などに伝わる文字としている。また平田篤胤が[[1819年]]([[文政]]2年)に著した『神字日文伝』では、鶴岡八幡宮のほかに[[鹿島神宮]]、[[大神神社]]、[[法隆寺]]、[[出雲大社]]など各地の寺社に伝えられるとしている。
▲阿比留草文字は各地の神社において[[神体|神璽]]や守符に用いられている。[[阿伎留神社]]には神符の発行に用いられた阿比留草文字の版木が残されている。また[[伊勢神宮]]には神代文字によって記された多数の奉納文があり、その中で最も多く用いられている文字は阿比留草文字である。
『[[大御食神社|美社神字録]]』(うつくしのもりしんじろく)や、『かむことのよそあり』に採録される「[[大祓詞]]」(おおはらえのことば)といった史料では、異なる神代文字である[[阿波文字]]との混ぜ書きが用いられている。
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*[[吾郷清彦]]『日本神代文字-古代和字総観』[[大陸書房]]、1975年。
*吾郷清彦『日本神代文字研究原典』[[新人物往来社]]、1996年。(『日本神代文字』の「愛蔵保存版」)ISBN 4-404-02328-6 (ISBN-13:978-4-404-02328-5)
*[[
== 関連項目 ==
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*[http://homepage3.nifty.com/utukusinomori/binnrann/binran1-aiueo.html 古代文字便覧]
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{{DEFAULTSORT:あひるくさもし}}
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