「生の哲学」の版間の差分

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=== 生の哲学の哲学における地位 ===
{{出典の明記|date=2015年10月26日 (月) 11:31 (UTC)|section=1}}
{{独自研究|date=2015年10月26日 (月) 11:35 (UTC)|section=1}}
『生の哲学』というタイトルの本は、[[ディルタイ]]や[[ジンメル]]のほか、[[ハインリヒ・リッケルト]]が執筆しているが、ディルタイの著作は[[ヘルマン・ノール]]が編纂した講義録である<ref>ジンメルの原タイトルは''Lebensanschauung''である。</ref>。また、[[オットー・フリードリッヒ・ボルノウ]]の『生の哲学』(玉川大学出版部)もあるが、ボルノウは哲学というよりは、教育哲学で活躍したので、教育学よりの批評になっている。
 
{{独自研究範囲|date=2015年10月26日 (月) 11:35 (UTC)|このように、哲学においては生の哲学だけ掻い摘んで叙述するということはできない。というのも、やはり論理・宗教・自然などの各種問題をも自身の哲学の体系に取り入れ、その中のひとつとして「生」という問題がはじめて語ることができる性質のものだからである。仮に生の哲学だけして掻い摘んで叙述しているのであれば、その人物は哲学者とは呼ばれず、むしろエッセイストなどと呼ばれるべきだろう。}}
 
=== 生の概念 ===