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堅昆時代、[[鉄勒]]の[[薛延陀]]部に隷属していたため、延陀が頡利発(イルテベル)1人をもって監国した。堅昆の酋長は3人おり、訖悉輩,居沙波輩,阿米輩<ref>「輩」は王侯,酋長を意味する官称号「bai」にあたる。《『騎馬民族史2』p454注156》</ref>の3酋長で国を共治していた。酋長は俟利発(イルテベル)の称号を帯び、唐によって堅昆都督府が置かれると、堅昆都督の職も担当した。
 
黠戛斯の君主は“阿熱”(あぜつ)<ref>「阿熱」の唐音は「a-net」に近いとみられ、テュルク語の「inäl」の音訳と推定する説がある。13世紀初頭のキルギズ部長の一人にUrūs-inālという名の者があり、このinālと比較するにたる。《『騎馬民族史2』p451注156》</ref>といい、その氏族名も阿熱という。阿熱は青山に牙(本営)を置き、周りには垣をし、「密的支」と呼ばれる毛氈を延べ連ねたものを帳幕とし、他の首領は小さい帳幕に住んだ<ref>原文で「…号密的支它首領居小帳…」とある個所において、[[白鳥庫吉]]は「密的支它」を一つの語と見做し、「密的」を[[サモエード語]]の「muat,mat:帳の意」に、「支它」を[[オスチャーク語]]の「xot,kât:家、帳の意」にあてている。なお、阿熱の本営が置かれたという「青山」は、あるいは[[タンヌ・ウラ嶺]]の北峯たる[[ハン・テングリ|ハン・テングリ山]]にあたると推定されている。《『騎馬民族史2』p451-452注157》</ref>。阿熱はおよそ諸部より兵を徴発した。また、諸部の役属者は悉く行って、貂鼠,青鼠を賦とした。官職は宰相(7人),都督(3人),職使(10人),長史(15人),将軍(定員なし),達干(定員なし)の六等がある。
 
[[回鶻|回鶻可汗国]]が衰退すると、黠戛斯の阿熱は可汗(カガン)号を採用し、妻の称号も可敦(カトゥン)とした。