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== 歴史 ==
[[ファイル:1906_IRT_map_south.png|200px|thumb|right|IRT路線図(1906年)]]
[[File:City Hall Subway station.jpg|thumb|1904年10月27日に最初に開業した駅の一つ[[:en:IRT Lexington Avenue Line|IRTレキシントン・アベニュー線]][[:en:City Hall (IRT Lexington Avenue Line)|シティホール駅]]]]
 
ニューヨーク市地下鉄は現在、公益法人の[[ニューヨークシティー・トランジット・オーソリティー]]が路線を管理・運営しているが、1940年までは3つの事業者が独自に路線網を展開していた。
ニューヨーク市における初めての地下鉄の試験運転は、1867年に[[ロウアー・マンハッタン]]の[[ブロードウェイ]]地下の短い区間で行われた([[:en:Beach Pneumatic Transit|Beach Pneumatic Transit]]参照)。
 
ニューヨーク最初の地下鉄は現在、公営の[[ニューヨークシティ'''インタボロ・ラピッド・トランジット・オーソリティー|ニューヨーク市都市交通局]]が路線を管理・運営しているが、元は3つの鉄道会社が独自に路線網を展開していた。ニューヨーク市に最初の高架鉄道路線 ([[:en:IRT Ninth Avenue Line|IRT Ninth Avenue Line]]) が開業してから約35年後、'''都市高速交通会社''' ([[:en:Interborough Rapid Transit Company|Interborough Rapid Transit Company]]、IRT) の手により、[[1904年]][[10月27日]]最初の地下鉄路線 ([[:en:City Hallシティホール駅 (IRT Lexington Avenue Lineレキシントン街線)|City Hallシティホール駅]] - [[:en:145th Street145丁目駅 (IRT Broadway – Seventh Avenue Lineブロードウェイ-7番街線)|145th Street145丁目駅]]) を間で開業した。ニューヨーク市との間で交わされた契約に基づいて行われていたが、その後ニューヨーク市は、'''[[1913年]]に[[ブルックリン高速交通''' ([[:en:Brooklyn Rapid Transit Company|Brooklyn Rapid Transit]]、BRT)(1923年に一旦倒産で高架鉄道と路面電車を運営ていた'''ブルックリン・マンハラピド・トラ交通会社ジット''' ([[:en:Brooklyn–ManhattanBrooklyn Rapid Transit CorporationCompany|Brooklyn-Manhattan TransitRapid CorporationTransit]]、BMTBRT) と改称)とも別個の地下鉄建設契約を[[1913年]]に締結し (''Dual Contracts'')、この2社に競わせる形で市内の地下鉄の建設を推進した。またニューヨーク市も独自に'''独立地下鉄網''' ([[:en:Independent Subway System|Independent Subway System]]、IND) を[[1932年]]に開業させ、路線の更なる拡充を図った。こうして20世紀初頭から中期にかけて、ニューヨーク市において、3つの異なる鉄道会社が地下鉄と高架鉄道を中心とする路線を拡大した。なお、高架鉄道は1871年に最初の路線が開業したが、地下鉄の整備が進むにつれて多くの路線がそれに接続されるか[[廃線|廃止]]され、マンハッタン島内では1956年に全廃された。[[ブルックリン区|ブルックリン]]では、地下鉄開業以前から存在する高架がまだ使われている区間もある
 
[[1914年]]の[[第一次世界大戦]]勃発とその後の軍需景気、さらに[[狂騒の20年代]]を通じて地下鉄の利用者は急激に増加した。しかし契約上運賃は5セント均一で固定されていたため、インフレが進行したことにより却って両社の経営は悪化し、特にBRTは[[マルボーン・ストリート鉄道事故|1918年の脱線事故]]で多額の賠償金を抱えたため、[[1919年]]に一度破産し[[1923年]]に'''ブルックリン・マンハッタン・トランジット''' ([[:en:Brooklyn–Manhattan Transit Corporation|Brooklyn-Manhattan Transit Corporation]],BMT)として再スタートを切る事態となった。そこでニューヨーク市は自ら地下鉄運営に乗り出し、市直営の'''インデペンデント・サブウェイ・システム'''([[:en:Independent Subway System|Independent Subway System]]、IND)を[[1932年]]に開業させ、路線の更なる拡充を図った。
しかし、[[1940年]]に、ニューヨーク市は両社を買収し、IRTとBMTの路線の公社路線化とINDへの統合を決定した後、一部の路線を廃止し、一つの鉄道網を構築することになった。車体長15mの小型車を使用するIRTの路線は''[[:en:A Division (New York City Subway)|Division A]]'' として、19m以上の大型車を使用するBMTとINDの路線は''[[:en:B Division (New York City Subway)|Division B]]'' と称して運営されている。その後、ニューヨーク市は、[[1953年]]にニューヨーク市都市交通局を開設し、全路線をその管轄下に置いた。また、[[ロングアイランド鉄道]] (LIRR) から老朽化した一部の高架路線を買収・修復して既存のAラインと接続した。NYCTAは、[[1968年]]に'''[[ニューヨーク州都市交通局]]''' (Metropolitan Transportation Authority: MTA) の管轄下に組み込まれ、米国内では珍しい充実した公共交通ネットワークを持つ、ニューヨーク都市圏の重要な交通体系を担っている。
 
最終的にニューヨーク市は[[1940年]]に両社を買収して路線網をINDに統合し、地下鉄の完全公営化が実現した。しかしIRTは車体長15mの小型車を使用し、BMTとINDは19m以上の大型車を使用していたため、旧IRTの路線は''[[:en:A Division (New York City Subway)|Aディビジョン]]'' 、旧BMT、INDの路線は''[[:en:B Division (New York City Subway)|Bディビジョン]]'' として現在でも別々に運行されている。その後、地下鉄の運営は[[1953年]]に設立された'''[[ニューヨークシティ・トランジット・オーソリティ]]'''(ew York City Transit Authority、NYCTA)に移管された。NYCTAはさらに[[1968年]]に'''[[メトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティ]]''' (Metropolitan Transportation Authority: MTA) の管轄下に組み込まれた。
[[ファイル:NYCSub 1237ACENRS timessquare entrance.jpg|thumb|right|250px|[[タイムズスクエア]]の駅]]
 
ニューヨーク市地下鉄は、24時間運行や[[複々線]]による急行運転などで高い評価を受けてが、。しかし[[1970年代]]以降、の老朽化に加え、車体全体を覆いつくすことすらあった車両へのスプレー落書き([[グラフィティ]])・車内駅構内での凶悪犯罪行為が目立つようになったり、市民からも敬遠され利用者数は1910年代の水準にまで落ち込んだ。これらは米国内のみならず、メディアを通じ海外にも広く知れ渡る悪評と化してい。このため1980年代中盤以降、駅のリニューアル工事・ステンレスや新型車両の導入警備体制の強化等の対策行わ進めらた。その結果、犯罪や落書きは減少し以前の評価を取り戻した。しかしているが、未だに世界の他の都市のそれに比べると駅や電内や駅構内が不衛生で電車の時刻はいい加減あることダイヤが不正確であることや現業職員の接客態度の悪さなど課題は多数残っている。おり、特に[[:en:2005 New York City transit strike|2005年に3日間行われたストライキ]]は、利用者を顧みない現業職員の身勝手な行為として市民の不評を買った。[[:en:1966 New York City transit strike|1966一方で90代以降は利用者数も増加は12日間]]転じており[[:en:1980 New York City transit strike|19802014年には11間]]ストライキが行われ。1990年代よの利用者数が過去最高を記録する<ref>http://newyork.keizai.biz/headline/1317/「NY地下鉄利用客は年々増加傾向者数が過去最多-「危険」から「生活の一部」の乗り物」ニューヨーク経済新聞2014年11月4日</ref>など、米国内で最も充実した公共交通ネットワークを持つニューヨーク都市圏の重要な交通体系の一翼を担っている。
 
[[ファイル:NYCSub 1237ACENRS timessquare entrance.jpg|thumb|right|250px|[[タイムズスクエア]]の駅]]
 
=== 拡張計画 ===
[[ロウワー・マンハッタン]]にはA・Cラインのブロードウェイ/ナッソー通り駅と、J・M・Zラインのフルトン通り駅、2・3ラインのフルトン通り駅、4・5ラインのフルトン通り駅が至近距離にあるにもかかわらずバラバラに存在するため、これら四つの駅を統合して総合駅化する ''Fulton Street Transit Center Project''が2009年完成予定で進められていたが、当初の計画から大幅に遅れた2014年11月に[[フルトン・センター]]複合駅が開業した。さらに周囲のCortlandt St駅やPark Place駅、World Trade Center駅、および[[パストレイン]]の[[ワールド・トレード・センター駅 (パストレイン)|ワールド・トレード・センター駅]]とも地下通路でつなぐことが予定されている。<!--同時にランドマークとしての超高層駅ビルの建設もセットになっており、あまりの規模の大きさに[[ニューヨーク・タイムズ]]紙は「[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|ワールドトレードセンター]]のことがあったのでニューヨーク市はヤケクソになったのではないか? 素晴らしい!」という賞賛とも皮肉ともとれるコメントを出している。-->