「建国神話」の版間の差分

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日本神話が神の側の視点で描かれているのに対し、朝鮮神話では神を迎える民衆側に重点が置かれている<ref>同『「古事記」と「日本書紀」の謎』 p.155.</ref>。
 
== ベトナム ==
『大越史記』全書外記巻一、鴻厖(こうぼう)記によれば、昔、炎帝神[[農氏]]の3世の孫に[[帝明]]がおり、[[帝宜]](ていぎ)を産み、のちに南方へ巡幸して五嶺(南嶺山脈)に至り、婺僊(ぶせん、婺女という名の星と僊は[[仙人]]の意)の女と接し、[[ケイ陽王]]を産んだ。帝明は聖知聡明な王(次男)をよしとし、位を継がせようとするが、王は固く、その兄にこれを譲り、帝明も仕方ないので、帝宜を立て、後継とし、北方を治めさせ、次男を封じて、南方を治めさせ、「赤鬼国」と号させた([[文郎国]]も参照)。さらに後、王は洞庭君の女である神竜を娶って、[[貉龍君]]を産む。この君が帝来の女の嫗女(うじょ)を娶り、百男(俗に百卵という<!-- 後述の『ベトナム民族小史』より -->)を産む。これが[[百越]]の祖先となった。
 
この建国神話は、中国[[周]]王朝の祖先の物語である[[古公亶父]](たんぽ)が三男で聡明な[[李歴]]を愛し、長兄太伯と次兄虞仲は逃げ、南蛮の間に走ったという伝説をもじったものとみられ<ref>[[松本信広]] 『ベトナム民族小史』 [[岩波新書]] 5刷1974年(1刷1969年) p.10.</ref>、そのため、ベトナム人は祖先が北方中国人と兄弟であり、本来、これを継ぐ、正当な人種だが、棄権して南方に移住したもので、同格であるという自負心が、神話から読み取れる<ref>同『ベトナム民族小史』 pp.10 - 11.</ref>。
 
== 脚注 ==