「オペレッタ」の版間の差分

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[[パリ]]で19世紀半ばに起こり、[[ジャック・オッフェンバック|オッフェンバック]]の『[[地獄のオルフェ|天国と地獄]]』などが人気となる。これが[[ウィーン]]に飛び火し、元々ドイツ人であるオッフェンバックはしばしば同地を訪れてドイツ語版上演を指導、[[スッペ]]、[[ヨハン・シュトラウス2世]]ら才能ある地元作曲家も手を染めたことから、まもなくパリを上回る中心都市中心となった。シュトラウスは『[[こうもり (オペレッタ)|こうもり]]』などの名作を書いている。20世紀初頭の「銀の時代」(J. シュトラウス2世の活躍した時代を「金」とし、それに対して第二の黄金期であるこの時代をこう呼ぶ)には[[カールマーン・イムレ|カールマン]]の『[[チャールダーシュの女王]]』・『[[伯爵令嬢マリツァ]]』、[[フランツ・レハール|レハール]]の『[[メリー・ウィドウ]]』などが知られる。ドイツ語オペレッタが主流として定着してからは[[ベルリン]]でも盛んになった。ベナツキーの「白馬亭にて」が大ヒットとなったほか、行進曲「ベルリンの風」が知られている[[パウル・リンケ|リンケ]]の『ルーナ夫人』などが書かれている。レハールも第1次世界大戦後は活動の拠点をベルリンに移しており、ベルリン・オペレッタの定義をベルリン初演作品という意味にまで拡げるなら、その最大の代表作は『[[微笑みの国]]』ということになるだろう。
 
ドイツ圏(中欧の同言語同民族地域)では地方歌劇場を中心にオペレッタの上演が多く、大都市では[[ウィーン・フォルクスオーパー]]、[[ベルリン・コーミッシェ・オーパー]]、[[ミュンヘン]]の[[ゲルトナープラッツ劇場]]、[[ドレスデン州立オペレッタ劇場]]など、メインの国立歌劇場とは別にオペレッタを主力とする歌劇場が存在する(ただし、よく誤解されるがドレスデンをふくめ、いずれもオペレッタ専門劇場ではなく、あくまでオペラハウスであり、ドレスデン以外の3劇場はヴァーグナーの大作にも対応可能な四管編成オーケストラを擁している)。ドイツ圏以外ではカールマンやレハールが[[ハンガリー]]生まれであることもあり、ハンガリーの[[ブダペスト国立オペレッタ劇場]]が有名である(同劇場はハンガリー語とともにドイツ語上演能力も備えている)。また、オーストリア東部で夏に行われる[[メルビッシュ湖上音楽祭]]は1年1演目でオペレッタを上演。屋外ならではの巨大なステージや湖畔情緒が人気を呼び、毎年20万もの観客を集めている。やはり湖上舞台が売り物の[[ブレゲンツ音楽祭]]も、オペレッタの名指揮者アントン・パウリクが創設した当初は同路線だったが、近年はイタリアオペラが多いようである。
 
従来オペラとオペレッタは厳然たる別物であるという考えも根強く、オペレッタは上演しないという方針になっている大歌劇場も少なくなかった。しかしたとえば、[[ウィーン国立歌劇場]]は、シュトラウスの「騎士パズマン」やレハールの「ジュディッタ」を強引にオペラと称して初演しており、両者を区別する基準はあまり明確でなく、親しみやすさが集客の面でも貢献するため、そのような区別は過去の慣習となりつつある。特に近年は原語上演主義が広まりつつあるため、集客対策や公的援助の面から一定割合のドイツ語作品を確保したい各歌劇場にとってオペレッタは欠かせない存在となってきた。例えば[[2010年]]より開催されている[[シュターツカペレ・ドレスデン]]のジルヴェスター・コンサートでは演奏される曲目の殆どがオペレッタのものか、ドイツ語圏にて長年親しまれている[[1930年代]]のオペレッタ映画音楽からのものである。