「京阪60型電車」の版間の差分
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本形式はその後も京津線を中心に運用され、前期は速力を活かして急行運転に、後期は四宮車庫火災で希少化した低床扉付き、しかも京津線では大型な連接車という特長を生かして京阪三条 - [[四宮駅|四宮]]・[[浜大津駅|浜大津]]間の各停運用に重用され、本線所属時代には入線実績がほぼ皆無であった石山坂本線へも頻繁に入線するようになった。また、京阪本線への直通運転も、[[初詣]]、[[初午]]、あるいは「[[ひらかたパーク]]」で開催される「[[ひらかた大菊人形]]」展への観覧列車などといった臨時列車扱いで実施されていた。
しかし京津線規格の小さな車体に加え、戦後京阪本線に導入された[[京阪1700系電車|1700系]]以降の新型特急車群と比較すれば、発展的ではあるが、低性能の部類となった本形式は、臨時ダイヤであっても京阪本線での運行が次第に困難となり、直通運転は[[1961年]](昭和36年)11月23日の浜大津-枚方公園間の「菊号」を最後に運用停止された。その後も片町駅で搬入された[[京阪80
三条の連絡線も大津線の新車搬入<ref>1965年(昭和40年)に[[京阪300
京津線への[[自動列車停止装置]](ATS)導入に伴い,老朽化の進んだ60型はATS取付け対象から外れることとなり、三条 - 四宮・浜大津間の各停運用専用車として新造された80型に代替される形で、1970年までに順次[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった。
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