「箕面有馬電気軌道1形電車」の版間の差分

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入線直後は塗色も阪急マルーンのままであったが、しばらくして20・50・70の各形式と同じクリームとライトブルーのツートンカラーに塗りなおされ、比叡山東麓の田園地帯やまだ埋め立てが始まる前の[[琵琶湖]]の波打ち際、城下町の面影が残る膳所周辺、[[石山駅|石山]]以南の瀬田川沿いといった、阪急時代とは異なる水辺の空間を、三条-[[石山寺駅|石山寺]]間直通急行に充当される[[京阪60型電車|60型]]「びわこ」号や浜大津貨物線<ref>このため、浜大津-[[京阪膳所駅|京阪膳所]]間(厳密には京阪膳所駅の手前)の上り線は1435mm軌条の内側に1067mm軌条を敷いた3線軌条であった。</ref>乗り入れの貨物列車、浜大津駅北側で並走する[[江若鉄道]]のディーゼルカーと並走しながら走り続けた。
 
[[1950年代]]後半から[[1960年代]]初期にかけては京津線車両の体質改善が優先的に進められ、急行用には200型の更新車である[[京阪260電車|260型]]が1957年以降[[1963年]]にかけて19両投入<ref>260型(形)は最終的に26両が更新改造された。</ref>され、普通用には純然たる新車として[[京阪80電車|80型]]の増備が[[1961年]]から開始された。この過程で京津線から30型が石山坂本線に転入して輸送力増強に寄与した。ただ、30型は四宮車庫火災復旧後2両固定編成に改造されていたが、元が小型ボギー車のためにラッシュ時には輸送力が不足した<ref>30型は路面電車スタイルで製造され、全長約9.95mとかなり小型であった。</ref>ことから、本形式による2両編成運行を開始することになり、ホーム有効長が不足する[[三井寺駅]]以南のホーム延長を実施<ref>この区間は石山坂本線の前身である大津電車軌道時代の1913年から1914年にかけて開通し、当初は路面電車スタイルの車両が運用されていた。</ref>、当初は[[近江神宮前駅|近江神宮前]]-石山寺間で2両編成での運行を開始し、1960年6月からは運行区間を[[坂本駅 (滋賀県)|坂本駅]]まで延長して全線でラッシュ時の2両編成運行を開始した。その後、阪急に残ったグループが全車廃車されても本形式は1両も欠けることなく走り続けたが、本形式をはじめ石山坂本線所属車両の陳腐化が目に付くようになってきたことから、260型の更新完了後は木造車として残っていた[[京阪1000型電車 (初代)|300型(初代)]]を更新した[[京阪300電車 (2代)|300型(2代)]]を投入することとなり<ref>300型(形)は石山坂本線だけでなく京津線でも運用された。逆に260型(形)も京津線だけでなく石山坂本線の線内運用に充当されている。</ref>、[[1965年]]6月に1次車の301 - 304が登場、余剰となった15・16の2両が30型4両とともに同年11月に廃車された。残る6両も石山坂本線向けの更新車である[[京阪350電車|350型]]に置き換えられることとなり、350形1次車が[[1966年]]12月から[[1967年]]3月にかけて登場すると、本形式が代替廃車されることとなった。結果として、阪急に残ったグループより5年長く使用されたが、1967年2月には11・18の2両が30型4両とともに廃車され、残る12 - 14・17の4両も翌3月に廃車されたことによって、本形式はついに全廃された。
 
==脚注==
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