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{{日本の高等学校
|校名=岩手県立福岡高等学校
|画像 = {{画像募集中|cat=岩手県二戸市}}
|過去校名=
|国公私立=[[公立学校]]
|設置者=[[岩手県]]
|学区=二戸学区
|併合学校=岩手県立福岡中学校<br />岩手県福岡高等女学校
|校訓=文武両道  質実剛健
|設立年月日=[[1901年]]
|創立記念日=[[4月28日]]
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|中高一貫教育=
|分校=[[岩手県立福岡高等学校浄法寺校|浄法寺校]]
|課程=全日制課程<br />定時制課程
|単位制・学年制=[[学年制と単位制|学年制]]
|設置学科=[[普通科 (学校)|普通科]]
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|外部リンク=[http://www2.iwate-ed.jp/fuk-h/ 公式サイト]
}}
 
'''岩手県立福岡高等学校'''(いわてけんりつ ふくおかこうとうがっこう)は、[[岩手県]][[二戸市]]福岡字上平にある県立[[高等学校]]。
 
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== 校歌 ==
作詞:疋田剛三、 作曲:豊原雄太郎
{|
|-
| 一、 || 岩手の北臺  天下の鎮   降るや嶽神  雲薫り
|-
| || 湧くや醴泉  龍躍る      自然の精霊  鍾りて
|-
| || 天地の威徳  象れる     我が高校や  国の誇示
|-
| 二、 || 三綱の柱   太しりて    五目の甍   聳ゆなり
|-
| || ああ荘厳の  我が校や    偉人の事業  実の学
|-
| || 学ぶ鳳雛の  羽搏くや    習ふ龍駒の  馳るかな
|-
| 三、 || 義憤の大作  時の傑     九戸古城址  君見ずや
|-
| || 無量の感慨  胸を衝く     いざや稜威を  戴きて
|-
| || 天の使命ぞ  果たさなん   国士の気魄  我が理想
|}
※ 本来の歌詞は第三節が「九戸古城址  君見ずや」ではなく「九戸古城主  君見ずや」だった。口承で伝わっているうちに「九戸古城址」に誤って伝えられたものと思われる。学校創立60周年を機に同窓会長が中心になり「九戸古城主」に直し、70周年、80周年の記念式典でも「九戸古城主」で歌われた。現在は、学校の公式サイトでは「九戸古城址」とされているが、文脈から国士とは誰かを考えれば下斗米将真(相馬大作)と九戸政実を指すことは明らか。なお、第三節の作詞は疋田氏ではなく小保内鞆男などを中心とした在校生有志である。
 
== 制服  ==
* 男子生徒 : (夏服) 白色の[[Yシャツ]]、黒色の[[ズボン]] / (冬服) 左記に黒色の[[詰襟]]を着用
* 女子生徒 : (夏服) 白色の[[ブラウス]]、濃紺色の[[ネクタイ]]、濃紺色の[[スカート]] / (冬服) 左記に濃紺色の[[ブレザー]]を着用
 
== 施設  ==
* 教室
* 各種教室
* 体育館
* 武道館
* プール
* 第1グラウンド
* 第2グラウンド
* 福陵会館
 
== 設置課程 ==
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* 普通科: 1学年の募集定員は40名で1クラスを設置
 
== 進学実績  ==
2014年度の卒業生数は196名。
現役での大学合格実績は、国公立大学が64名。私立大学が89名。国公立短大が12名。私立短大が6名。大学校が5名。
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== 沿革 ==
* [[1901年]] 4月28日 - 岩手県立福岡中学校として開校。生徒定員400名。     
* [[1924年]] 4月 1日 - 岩手県福岡実科高等女学校開校。
* [[1943年]] 4月 1日 - 岩手県福岡実科高等女学校が学制改革により岩手県福岡高等女学校となる。
* [[1948年]] 4月 1日 - 岩手県立福岡中学校と岩手県福岡高等女学校が統合され、岩手県立福岡高等学校として開校。生徒定員750名。同時に定時制課程と浄法寺分校を設置。
* [[1948年]] 6月19日 - 定時制課程浄法寺分校開校。 
* [[1949年]] 5月 1日 - 定時制課程伊保内分校開校。
* [[1954年]] 4月 1日 - 商業科新設。普通科定員50名を減じ商業科50名を設置。生徒定員750名。
* [[1965年]] 4月 1日 - 普通科入学募集定員200名。商業科100名。
* [[1970年]]10月10日〜14日 - [[第25回国民体育大会]]の剣道会場となり、天皇・皇后両陛下御来臨。
* [[1972年]] 4月 1日 - 伊保内分校が[[岩手県立伊保内高等学校]]として独立。
* [[1975年]] 4月 1日 - 浄法寺分校が岩手県立浄法寺高等学校として独立。
* [[1981年]] 4月 1日 - 定時制課程で岩手県立二戸高等技術専門校との技能連携開始により2学級増。 
* [[1998年]] 4月 1日 - 男子生徒の頭髪規制を大幅に緩和。
* [[1998年]]10月12日 - [[英国]]・[[グラスゴー]]へ留学生の派遣を開始。
* [[1999年]] 8月 1日 - [[全国高等学校総合体育大会]](全国高総体=インターハイ)の剣道競技の練習会場となる。
* [[2000年]] 3月31日 - 定時制課程で岩手県立二戸高等技術専門校との技能連携を解消。 
* [[2001年]]10月20日 - 創立100周年記念式典挙行。
* [[2007年]] 4月 2日 - 商業科閉科式挙行。
* [[2008年]] 4月 1日 - 岩手県立浄法寺高等学校が高校再編により[[岩手県立福岡高等学校浄法寺校]]となる。
* [[2011年]]10月 1日 - 創立110周年記念式典挙行。
* [[2014年]] 4月 1日 - 岩手県立福岡高等学校浄法寺校が募集停止。
* [[2016年]] 4月 1日 - 岩手県立福岡高等学校浄法寺校を統合予定。
 
== 部活動 ==
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** 男子は平成27年度岩手県スポーツ特別強化指定部であり、女子は平成27年度岩手県スポーツ強化推進部である。
* [[陸上競技]]部
** 全国高校選手権大会で1955年女子砲丸投げ第5位。1956年女子砲丸投げ優勝。男子5000m5000m走第2位。男子駅伝第3位。女子円盤投げ第6位。
**: 1957年女子砲丸投げ優勝。女子円盤投げ優勝。男子駅伝第4位。男子5000m5000m走第6位。1958年男子ハンマー投げ第4位。
** 2010年日本ジュニア陸上選手権大会で、男子円盤投げ優勝かつ日本高校新記録を樹立。
* [[サッカー]]部
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* [[水泳]]部
** 全国高総体で1970年水球で第8位。1972年水球で第6位。
** 2013年岩手県水泳選手権大会で男子500m500mメドレー優勝。女子50m50mバタフライ優勝。
** 2013年岩手県高総体で女子200m200m背泳ぎ優勝。
 
=== 文化部 ===
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== 野球部と応援団 ==
{{出典の明記|section=1|date=2015年11月2日 (月) 01:28 (UTC)}}
[[部活動]]や[[応援団]]の活動が非常に活発である。学校所在地の[[岩手県]][[二戸市]]は野球が盛んな地域であり、部活動の中でも特に[[野球部]]は特別な存在である。'''県内最多[[高校野球|甲子園]]出場校'''(10回)であり、以前には『'''古豪福岡'''』とも呼ばれるほどに強かった時期があり、未だに全国にオールドファンが存在している。[[1927年]]、[[全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]に初出場。準々決勝で[[水原茂]]がいる[[香川県立高松商業高等学校|高松商業]]([[第13回全国中等学校優勝野球大会|この大会]]で優勝)と対戦し、日本で初めて[[故意四球|敬遠]][[満塁策]]を成功させた有名な逸話がある。ちなみに2ケタ以上の甲子園出場を数える高校の中で、[[選抜高等学校野球大会|春の出場]]が[[日本の高校野球#夏の甲子園専門|1度も無い唯一の学校]]でもある。その理由は、[[1928年]]と[[1929年]]に春の大会に選抜されたものの、予算不足と練習不足のためにいずれも辞退していた為である。
[[2014年]]、90周年を迎えた甲子園球場での夏の全国高校野球選手権大会の開幕試合の始球式で、野球部の柳畑主将(3(3)が渾身の内角ストレートでストライク投球を披露した。
全国大会の舞台を甲子園球場に移した後の[[1927年]]に、東北勢として甲子園球場で初勝利を挙げた戦績から日本高野連より指名されたのである。
 
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世界中に展開しているOB・OGの多くは常に母校野球部の活躍を注視し、甲子園出場を祈念し続けている。
野球部の練習を熱心に見守り、叱咤激励をする地域住民や保護者の野球熱は非常に高く、生徒・教師・保護者・OB・OG・地域住民が[[一枚岩]]となって野球部を応援する伝統が根付いている。
市内の企業では、夏の県大会の際に福岡高校野球部を応援に行きたいと言えば休暇をあっさり許可するところもあるといい、平日開催にかかわらず多数のOB・OGが応援に駆け付ける。
 
甲子園での試合当日は関西特有の異常なまでの高温かつ非常に蒸し暑い[[猛暑日]]だった。しかしながら、応援するには最悪なこの気象条件をも顧みず、福岡高校の丸坊主姿の男子生徒達は全員が黒の詰襟学生服を着用し、額には鉢巻を締め、手には長い紐を括り付けた学帽を握り締め、さらには下駄履きの強者さえも多数存在する状況で一斉に甲子園球場に乗り込んだのである。通常とは明らかに違う雰囲気を察知した甲子園の観客達は唖然茫然としていた。一方、女子生徒達は男子生徒同様に額に鉢巻を締めてはいたが、白いブラウスに濃紺色のネクタイ、濃紺色のスカートという、男子生徒とは全く対極的な大変涼しげで洗練されたスタイルだった。それらの一般生徒を束ねる応援団幹事は、代々受け継がれてきたという黒というよりはもはやグレーに近いボロボロの詰襟学生服を着用した男子生徒達と、学帽を被り凛々しき[[袴]]姿の男子生徒達で構成され、大太鼓に合わせて大きな校旗をこれでもかと言わんばかりに統制良く揃えて振り回した。彼等は日頃から常に異様で威圧的な雰囲気を醸し出しており、下級生からはもちろんのこと同級生からも恐れられていた程である。
 
結果として野球部は、初戦である1回戦で[[佐賀県立佐賀商業高等学校]]に惜しくも4-6の逆転負けを喫するのであるが、『バンカラ応援団』はその野球部以上に全国に鮮烈な印象を残して甲子園球場を後にしたのである。なお、甲子園では『[[吹奏楽部]]』は応援に参加出来ず、すべて在校生・教師・保護者・OB・OGらの肉声のみでの応援を余儀なくされたが、彼等の野太い声はアルプススタンドにこだまして想像以上に迫力を増した。[[チアリーダー]]による今時の華やかな応援を繰り広げた佐賀商業に対し、応援合戦では決して負けてはいなかった。県大会で毎年披露していた『バンカラ応援団』と『吹奏楽部』の合同応援スタイルは大変評判が良かっただけに、甲子園という大舞台で全国に披露出来なかった点だけは大変心残りである。ちなみに、[[1985年]]の夏の甲子園には、[[PL学園]]の[[桑田真澄]]と[[清原和博]]、[[東北高校]]の[[佐々木主浩]]など後に[[プロ野球]]([[NPB]])や[[メジャーリーグ]]([[MLB]])で大活躍する選手達が最上級生として数多く出場している。
 
通常の[[ローマ字]]では"Fukuoka"と表記されるべき校名だが、野球部のユニフォームには『H』一文字を使用している。他の運動部などでも『HUKUOKA』と表記することが多い。これは郷土の偉人[[田中舘愛橘]]博士の提唱した[[日本式ローマ字]]の記載方法を採用しているためである(国内で一般的に使用されているのは[[ヘボン式]])。しかし、一時期ではあるが[[1958年]]から[[1960年]]の間は『Fukuko』を使用していた。なお、二戸市立福岡小学校野球部と[[二戸市立福岡中学校]]野球部のユニフォームも『H』一文字であり、福岡高校野球部のユニフォームとほとんど同じである。ちなみに、どちらも岩手県内有数の強豪チームであり、なかでも二戸市立福岡中学校野球部は[[2006年]]に[[全国中学校軟式野球大会]]で全国制覇を果たしている。
 
夏の甲子園大会に向けて行なわれる『'''暑中行軍'''』は、応援団幹事と生徒有志が野球部の応援のために学校から'''約80km'''を約25時間かけて、ほぼ不眠不休で徒歩にて[[岩手県営野球場]]入りするもので、岩手県の夏の風物詩ともなっている。当初は学校非公認の行事であり生徒の自主行事との位置付けだった為、かつては停学処分を受けた生徒も存在したようだが、学校側は一度も阻止に出たことはなく現在では学校公認の行事となっている。『暑中行軍』の命名者は絵本作家の[[馬場のぼる]]([[1945年]]卒)であるが、野球部が10度目の甲子園出場を果たした[[1985年]]の11月12日に、[[日本放送協会|NHK盛岡放送局]]でこの行事を題材として採り上げた『地域スペシャル東北アワー730  バンカラ街道80キロ〜福岡高校応援団の25時間〜』というタイトルの[[ドキュメンタリー]](28分間)が放送されたことから、以後は『80キロ行軍』と呼ばれる事も多い。なお、このドキュメンタリー放送の取材時期は[[1985年]]の夏の県大会直前であり、その結末には同県大会で野球部が優勝して甲子園出場を果たすという、まるでテレビドラマの様なストーリーの相乗効果もあり、甲子園同様に全国に大反響を呼んだ。その後[[2005年]]5月22日に再放送されて、改めて『岩手県立福岡高校バンカラ応援団』の存在を全国に周知せしめた。最近では岩手県営野球場ではなく、初戦が行なわれる球場を目指して100km以上歩くこともあり、金ヶ崎の森山球場まで歩いたことは未だないものの、[[2009年]]は雫石球場まで(約100km)、[[2010年]]は[[花巻球場]](約120km)までとその過酷さは年々増している。[[水島新司]]の野球漫画『[[ドカベン]]』に登場する『[[弁慶高校]]』のモデル校である話は余りにも有名な逸話である。
 
他の部活動についての詳細は部活動欄に記載の通りであるが、古くは[[1929年]]に[[柔道]]部が全国制覇、[[1930年]]に[[剣道]]個人で全国優勝、[[全国高校駅伝]]で第3位入賞などの実績がある。部ではなく選抜チームとして、[[2006年]]には[[全国高等学校カーリング選手権大会]]で男子が準優勝を果たしている。
212行目:
 
; バス
: [[JRバス東北]]  『岩谷橋』バス停下車で徒歩5分
:
: [[岩手県北バス]]『福岡川又』バス停下車で徒歩5分