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'''アルバート・ハモンド
== 略歴 ==
[[ジブラルタル]]出身の両親の元に[[ロンドン]]で生まれる。両親が[[第二次世界大戦]]の影響で[[ジブラルタル]]から[[ロンドン]]へ避難していた時に生まれた子供であった。大戦後に[[ジブラルタル]]へ戻り、幼少期をそこで過ごした。
1960年にジブラルタルでThe Diamond Boysというバンドを組んでいたが、あまり成功しなかった。しかしジブラルタルに近い[[スペイン]]の音楽シーン(Miguel Ríosなど)には影響を与えたといわれている。 1969年にはイギリスのボーカルグループ、The Family Doggに参加。同グループの「A Way of Life」はUKでトップ10ヒットを記録した。
1970年代に入り、[[アメリカ合衆国]]に移住。「[[カリフォルニアの青い空]]」が大ヒットを記録した。シングルは、[[ビルボード]](Billboard)誌で、1972年12月16日に、週間ランキング最高位の第5位を獲得。ビルボード誌1972年年間ランキングは第33位。
その後、「フリー・エレクトリック・バンド」や「落ち葉のコンチェルト」などが日本でヒットした。また作曲者としては、[[ホリーズ]]の「安らぎの世界」や[[レオ・セイヤー]]の「ウェン・アイ・ニード・ユー」、カーペンターズの「青春の輝き」などのヒット曲を作曲している。
81年には「風のララバイ」が、日本で小ヒットした。
2000年に、[[大英帝国勲章]]を授与された。
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*[http://www.independent.co.uk/news/people/profiles/the-five-minute-interview-albert-hammond-singer-and-songwriter-1544687.html Albert Hammond - 5 Minute Interview with John Matthew Hall of The Independent]
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